第二百三十七段  故実への疑念

 柳筥(やないばこ)に据ゆるものは、縦様・横様、物によるべきにや。「巻物などは縦様に置きて、木の間より紙ひねりを通して結ひつく。硯も縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿仰せられき。勘解由小路(かでのこうぢ)の家の能書の人々は、かりにも縦様に置かるる事なし。必ず横様に据ゑられ侍りき。

柳筥:柳の木で作った一種の箱。柳の木を細長く三角に削り、並べて編んで作ったもの。硯、墨、短冊、冠、鞠、経巻などを納めるのに用いた。

「柳筥に据える物は、縦向き・横向きは、その物次第であるべきだろうか。『巻物などは縦向きに置いて、箱の木の間からこよりを通して結びつける。硯も縦向きに置いてあるのが筆が転がらなくてよい。』と、三条右大臣殿がおっしゃった。勘解由小路家の能筆の人々は、かりにも道具を縦向きに置いていることは無い。必ず横向きにお据えになりました。」

兼好は、有職故実を尊ぶべきであると考えている。有職故実には、本来そうするだけの理由があるからである。しかし、それがはっきりしているものはいいけれど、中には何でそうするのかが忘れられ、理由がわからないものもある。たとえば、柳筥にものを納める仕方のように言い伝えが正反対のこともある。前段の狛犬のように、過ちを有り難がり尊んでいるのかも知れない。さすがの兼好も、有職故実に闇雲に従っていいのだろうかという疑惑や不安が心をよぎったのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    三条右大臣は「こうすると便利だから、こう使った方がいい」と言っているのに対し、能書家の使い方はルールとして代々してきたままを継承している。兼好、これは試してみて疑問を持ったのでしょうね。「あれ?こっちの方が便利だ、右大臣の使い方が理にかなっている」と。
    考えずにやっていることって結構あります。左利きの私はハサミの持ち手を左にして引き出しに置いているのですが、右利きの人はきっと右に持ち手を置くのでしょうね。
    信号とか皆で共通認識をする事で成立するものは順法であるべきだけれど、箱の使い方が違った所で誰にも迷惑は掛からない。ならば自由に使った方が良いです。偉い人がそうしたからと、闇雲に前例に倣うのは手抜きでしかないように思います。

    • 山川 信一 より:

      兼好が「縦様・横様、物によるべきにや」と、疑問を抱いていることに兼好らしさを感じます。そう考えることに抵抗があるのですね。「それは、そうでしょう。」と言ってあげたくなります。
      すいわさんは、ハサミをよくお使いになるのですね。大抵の人は置き方まで気にしてないと思います。滅多に使わない私がそうなので。
      よく使う物は、使い易いように置くはずなのに、能書家がそうしないのは不思議です。

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