巻五・秋下 《嵐の意味》

これさたのみこの家の歌合のうた 文屋やすひて

ふくからにあきのくさきのしをるれはうへやまかせをあらしといふらむ (249)

吹くからに秋の草木の萎るればうべ山風を嵐と言ふらむ

「是貞の親王の家の歌合わせの歌  文屋康秀
その風が吹くと直ぐに秋の草木が萎れるので、なるほどそれで山風を嵐(荒し)と言っているのだろう。」

「からに」は、接続助詞。「うべ」は副詞。肯定を表す。「あらし」は、名詞の「嵐」と形容詞の「荒し」を掛けている。「言ふらむ」の「らむ」は、原因理由の推量の助動詞の終止形。
野分が吹いた。野分は山風とも言う。山風が吹くと、たちまち秋の草木が萎れてしまった。それでなぜ山風を嵐と言うのか納得した。それは秋の草木を荒らすからなのだと。
巻四・秋上の巻頭の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」に対応している。秋の始まりのかすかな風が今や激しい嵐になっている。この対照によって、季節の移ろいを示し、「ああここまで秋が深まったのだ。」という詠嘆を表している。秋の草木が萎れることは、残念であるけれど、嵐も秋の一部である。この秋も受け入れようとしている。
これは、「嵐」という漢字が「山」と「風」の組み合わせになっていることも踏まえている。これは一種の洒落である。そのためにかえって、この歌の価値を低めている感もある。しかし、貫之はそう考えていない。だからこそ、秋下の巻頭に置いたのだ。その理由は、この歌が季節の移り変わりへの感動を表しているからであるのに加え、次の理由からだろう。
仮名序にある「やまとうたはひとのこころをたねとして」の「ひとのこころ」とは、「人の一つの心」であった。それは、人に共通の心、感受性を言う。だから、『土佐日記』で阿倍仲麻呂の歌に次のように述べている。「唐土とこの国とは言、異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。」つまり、この歌は、嵐への思いは、日本でも中国でも変わらないことを示しているのだ。貫之はそこを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    子供の頃、百人一首のこの歌の読み札を見て「嵐」という字を覚えたのを思い出しました。
    涼やかで優しげな秋の始まりの風とは正反対に、冬を迎える前、晩秋の山おろしの風は木を揺さぶってゴーゴーと鳴りたて、風に晒され乾いた草のノイズは生命が失われたことを象徴するような不安感を覚えます。
    「秋上」では草はらに戯れその色、香りを楽しんで来ましたが「秋下」に入ってくっきりと秋への印象を塗り替える演出、大成功だと思います。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』の構成はさすがですね。一首にして、世界を変えてしまいました。冬に向かう秋の扉が開かれました。藤原定家はこの歌の価値を正しく理解していたようですね。

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