第二百三十四段  問答の心得

 人のものを問ひたるに、「知らずしもあらじ、ありのままに言はんはをこがまし」とにや、心惑はすやうに返事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。又、まことに知らぬ人もなどかなからん。うららかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。人はいまだ聞き及ばぬ事を、わが知りたるままに、「さてもその人の事のあさましさ」などばかり言ひやりたれば、「如何なることのあるにか」と、おし返し問ひにやるこそ、心づきなけれ。世に古りぬる事をも、おのづから聞きもらすあたりもあれば、覚束なからぬやうに告げやりたらん、あしかるべきことかは。かやうの事は、もの馴れぬ人のある事なり。

「人がものを尋ねているのに、『相手が知らない訳でもないだろう、ありのままに言うとしたらそれもみっともない。』と思うのだろうか、心を迷わすように返事をしているのは、よくないことである。知っていることも、いっそうはっきり知りたいと思って聞いているのかもしれない。また、本当に知らない人もどうしていないことがあろうか。はっきりと言い聞かせるとしたら、それは穏当に聞こえるだろうに。人はまだ十分に聞き及ばないことを、自分が知っているままに、『それにしても、その人の件の驚くこと。』などとだけ言い送っていると、『どんなことがあるのか。』と、相手が反対に尋ねるために人を使いにやることは、気にくわないことであるが、世間ではもう古くなってしまったことでも、自然に聞きもらす人もあるから、はっきりしない点が無いように告げてやったとしたら、悪いはずの態度であろうか、いやそうではあるまい。このようなことは、世間慣れしていない人に見られることである。」

問答に於ける態度について言う。人は、自分が知っていることをはっきり言わなかったり、十分に知らないことを知らないままに告げたりしがちである。いずれも、相手を惑わし余計な手間を取らせることに繋がる。これは自分本位に物事を考えるからである。それを避けるためには、相手本意になり、自分の都合や勝手な推測で判断すべきではないと言う。もっともな心得である。相手が尋ねることには、尋ねるだけの事情があるのだから、誠意を持って素直に答えた方がいい。応用が利きそうである。

コメント

  1. すいわ より:

    先入観は人の目を曇らせますね。相手の思惑もあるけれど、基本的に相手の言葉を「聞く」力を養う必要があります。現代は特に自己主張する事に注力する教育をしようとしているようだけれど、相手の意見を受け止める教育も同時にしないと、独善的になるのではと思っています。
    最後の「このようなことは、世間慣れしていない人に見られることである。」、コミュニケーションの希薄な現代人を見越しているようだ、と思いました。

    • 山川 信一 より:

      同感です。ただ、自己主張の教育も上手く行っているとは言えません。人前で自分の意見を言える人がどれだけいるでしょうか。もちろん、聞く教育も不十分です。要するに、コミュニケーションの教育が疎かにされています。感染症の影響でオンラインの授業が増えて来ました。学校は、ますますコミュニケーションの教育の場から遠ざかっています。危機感を感じています。

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