第二百三十三段  非難の回避

 万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少なからんにはしかじ。男女・老少、皆さる人こそよけれども、ことに、若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。万の咎は、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。

「あらゆる非難を受けまいと思うならば、何事にも真心を持って、相手を区別せず、礼儀正しく、口数が少ないのに越したことはない。男も女も老人も若者も、皆そういう態度の人がよいのだけれども、殊に、若く容姿がいい人で、言葉がきちんとしている人は、忘れがたく、自然に心惹かれるものである。あらゆる非難は、馴れているように熟達者ぶり、幅を利かせた様子で、人を無視するところから起こるのである。」

人から非難を受けないためには、慎み深く謙虚に、誰にでも礼儀正しく振る舞えという戒めである。この態度は、老若男女全てに言えるけれど、特に見目麗しく言葉遣いが整っている若者にはよく当てはまる。そういう若者は、心惹かれ、いっそう非難を避けることができる。一方、熟練者ぶり訳知り顔で傍若無人に振る舞えば、誰でも非難を免れることができないと言う。もっともである。ただし、非難をされないことを行動の原則とするのは、大いに問題がある。相手の顔色をうかがい、行動が卑屈になりがちになるからである。これでは、生き方のスケールが小さくなり、かえって弊害がある。とは言え、謙虚であることや人によって態度を変えないことは、正しい。要らぬ非難は、受けないに越したことがない。

コメント

  1. すいわ より:

    「謙虚であることや人によって態度を変えないこと」につきますね。
    自分の基本となる態度を貫く、自分の振る舞いは自分が決める。ただそれだけの事なのだけれど、とかく人は流されやすく、他人の視線を気にするあまり他人のルールに従う事で仮初の安全の中に隠れてしまう。他律である以上、自分でコントロールが効かない。常に不安の中に置かれているわけですね。自立しなくてはいけませんね。自分は自分で引き受けないと。
    年齢に関係なく、他者に最低限の敬意を持って接すれば無駄な非難を受ける事は無いと思います。妬み嫉みという理不尽もあるけれど、それに動じることのない確立した自分を作りたいものです。

    • 山川 信一 より:

      同感です。自律して生きることが重要ですね。兼好の論は、もっともだと思いますが、その出発点に他者からの非難を置いています。そこに引っかかります。これでは、他律的に生きることが大前提になってしまいます。とは言え、現実は、自律的と他律的を截然と区別などできません。そもそも、二校対立的な考えに問題があります。その点、兼好は柔軟でどこまでもリアリストなのでしょう。

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