《秋の野への招待》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた  ありはらのむねやな

あきのののくさのたもとかはなすすきほにいててまねくそてとみゆらむ (243)

秋の野の草の袂か花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらむ

「宇多天皇の御代皇后温子様の歌合の歌  在原棟梁
秋の野草の袂なのだなあ。それで、花すすきは、穂が目立って人を招く袖のように見えているのだろう。」

「たもとか」の「か」は、終助詞で詠嘆を表す。ここで切れる。「花すすき」は、文法上は独立語であるが、意味上は上下に掛かっている。「みゆらむ」の「らむ」は、現在推量の助動詞の終止形。
秋風に花すすきの穂が重そうに揺れている。それを見ているうちに、秋の野の沢山の草花は着物であって、花すすきは、その袂の役割を果たしているように思えてくる。それで、花すすきは、穂が目立ってくると、おいでおいでをして人を秋の野に招く袖のように見えているのだなあ。
秋の野に花すすきが揺れている。作者は、その動きを人を招く袖に見立てる。どこへ招くかと言えば、秋の野へである。なぜ招くかと言えば、美しい秋の花や草を見せるためである。なぜ着物の袖に見立てたかと言えば、秋の野全体が錦の美しい着物のように美しいことを想像させるためである。

コメント

  1. すいわ より:

    秋の野、木々が色付き日毎にその彩りを変化させて行く。宴もたけなわ、さぁおいでになってご覧下さいとばかりにすすきの穂が揺れ招いている。袖を振るのは愛しい人へのメッセージ。屋敷に籠ってじっとしてなどいられなくなりますね。

    • 山川 信一 より:

      花すすきに招かれて、作者がわくわくそわそわする気持ちが伝わってきますね。袖を振るのは、愛情表現ですから。

  2. らん より:

    すすきを見る目が変わりました。
    すすきとは優しい草花ですね。
    おいでおいでと呼んでいる姿が優しい人のように感じられました。
    ウキウキしますね。

    • 山川 信一 より:

      「自然は芸術を模倣する」と言います。芸術が物の見方を変えてくれます。すすきがこれまでとは違って見えますね。

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