第二百二十九段  鈍い刀の効用

よき細工は、少しにぶき刀をつかふといふ。妙観が刀はいたくたたず。

妙観:仏教工芸にも関わる僧の名。

「上手な細工師は、少し切れ味の鈍い刀を使うと言う。妙観の刀は大して切れない。」

鈍い刀を使った方がいい理由は書かれていない。兼好は時々こういう文を書く。そのために、何を意図しているのかがわからない。と言うのも、理由はいかようにも考えられるからだ。次に幾つか列挙してみる。その一つは、失敗を避けるためだ。切れ味が鋭いと、切れすぎて思わず失敗することがある。しかし、切れ味が鈍ければ、その分、刀を制御しやすく、失敗も少なくなる。ならば、その理由は、道具に足下を掬われないように、道具に頼り過ぎるなと言うことになる。あるいは、こうも考えられる。切れ味が鋭いと、その分道具に頼ってしまい、技を磨きにくくなる。己の技を磨くためにはかえって邪魔なのだ。つまり、便利に頼りすぎない方がいい。むしろ、多少不便な方が得るところが多いと言うのである。いわゆる「不便益」の考え方である。また、こうも考えられる。切れ味の鋭い刀には、常に要らぬ緊張を強いられる。よい仕事には、精神的なゆとりが必要だ。ギリギリの所で勝負せず、ゆとりを持って安定した仕事をするべきであると言うことになる。
いずれにせよ、読み手にあれこれ考えさせる効果はあるようだ。読者が好きなように考えろということか。

コメント

  1. すいわ より:

    「弘法筆を選ばず」の意味でこう書いているのでしょうね。技術があればこその道具、道具の力にだけ頼らないようにする、という事ならば理解できなくもないです。でも、道具の手入れを怠らないというのも道具を使う人の力量の一つだと思うのです。上手な人ならどんな道具でも操ることはできるのでしょうけれど、例えばなにがしかの作品を作る時、道具の使い勝手に心を煩わせるだけの時間があるのなら、その分を作品に当てた方が良いし、そもそも手入れの悪い道具は怪我にもつながります。「妙観が刀はいたくたたず」、年季の入った道具を見て、古びた悪い刃物に見えただけなのでは?

    • 山川 信一 より:

      なるほど「弘法筆を選ばず」の意味も考えられますね。でも、「にぶき刀」は、手入れを怠ってるからなのでしょうか?あるいは、道具を当てにしていないため、敢えてそうした刀を選んでいるのでしょうか?
      ただし、「にぶき刀」を敢えて使うこに思い当たることはあります。私は包丁は怪我をしないようにわざと「にぶい」のを使っています。むしろ、上手ではないので。

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