第二百二十五段  白拍子の起源

 多久資(ひさすけ)が申しけるは、通憲(みちのり)入道、舞の手の中に興ある事どもをえらびて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に、鞘巻(さうまき)を差させ、烏帽子をひき入れたりければ、男舞とぞいひける。禅師が娘、静と言ひける、この芸を継げり。これ白拍子の根元なり。仏神の本縁をうたふ。その後、源光行、多くの事をつくれり。後鳥羽院の御作もあり。亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。

多久資:多氏は神楽の家。久資は名前。
通憲入道:藤原道憲。保元平治の乱に関わる。
水干:狩衣を簡略にした衣服。
鞘巻:鍔のない短刀。
静:後に源義経の妾になった女。
源光行:後鳥羽院の北面。源氏物語の研究家。
亀菊:後鳥羽院に寵愛された白拍子。

「多久資が言いましたことには、通憲入道が舞の手振りの中で面白いものを選んで、磯の禅師と言った女に教えて舞わせた。白い水干に、鞘巻を差させ、烏帽子を被っていたので、男舞と言った。禅師の娘で静と言った者がこの芸を継いでいる。これが白拍子の起源である。仏や神の縁起由来を歌う。その後、源光行が多くの歌舞を作っている。後鳥羽院の御作もある。亀菊にお教えになったということだ。」

白拍子の起源についての聞き伝えである。「けり」を使っているので、伝聞であることがわかる。白拍子が生まれたいきさつを語る。歴史上有名な人物の名を挙げて、読み手の関心を惹き付けつつ、芸能でさえ歴史の中でダイナミックに生まれることを伝えている。それは、我々が歴史の積み重ねの中に生きていることを思わせる。
日本の伝統的な芸能は、能や歌舞伎のように男だけがすることが多いけれど、昔は白拍子のように女が歌い舞うものもあった。しかし、その流れが途絶えてしまったのはなぜだろう。女に舞わせるのも、止めさせるのも、男の都合によるのか。イラン女性に強いられているヒジャブの問題は、形を変えて日本にも存在するのではないか。

コメント

  1. すいわ より:

    静御前とその母、でしょうか。兼好としては何故この話題を取り上げたのでしょう。聞き伝えの珍しい話、女なんて存在でも芸術を解して継承に寄与することもあるのだ、といったところなのでしょうか。
    一子相伝、門外不出、男性にだけ許されてきたのは、女は産む性だから散逸して行く事を懸念してなのでしょうか?芸術、芸事などの無形なものも「独占」しようとしたということなのか?
    昔に比べれば格段に性差による制約は無くなってきてはいるものの、厳然として存在する格差。ただ、ステレオタイプな「女」像に敢えて逃げ込んで責任回避をする人もいます。逆差別もしかり。権利と責任の両方を引き受けられる個として自己を確立したいものです。

    • 山川 信一 より:

      「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」ることができるのが随筆というジャンルのいいところです。この話題もふと心に思い浮かんだのでしょうね。読み手にとっても飽きずに済みます。
      「ステレオタイプな「女」像に敢えて逃げ込んで責任回避をする人」がいるのは確かです。私はこれでも女性をずっと応援してきたのですけどね。

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