第二百二十四段  趣味と実用

 陰陽師有宗入道、鎌倉よりのぼりて、尋ねまうで来りしが、まづさし入りて、「この庭のいたづらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は植うることを努む。細道ひとつ残して、皆畠に作り給へ」と諌め申しき。
 誠に、少しの地をもいたづらに置かんことは、益なき事なり。食ふ物、薬種など植ゑおくべし。

陰陽師有宗入道:陰陽師は、天文暦数卜筮(ぼくぜん)などを司る人。「有宗」は不明。

「陰陽師有宗入道が鎌倉がら上京して、訪ねてやって参りしたが、まず家の中に入って、『この庭の無駄に広いことは、呆れるほどで、有ってはならないことである。道を知る者は、有用な植物を植えることに努める。細道をひとつ残して、皆畑に作りなさい。』と私を諌めました。誠に、少しの地面も無駄に空けて置くことは、無益なことである。食物、薬草などを植えておくのがよい。」

陰陽師有宗入道は、合理的な考えの持ち主であった。物事の価値を現実に役に立つかどうかで判断する。これは、いかにも東国武士らしい実用的な考え方である。趣味を重んずる京都の貴族の考え方とは違う。その点、兼好は、どちらかと言えば、貴族よりの趣味の持ち主であった。しかし、ここでは鎌倉=武家の考え方を認めている。知らないうちに、貴族趣味に染まっていた自分を反省したのだろう。まずは、実際に生きていくことが大事で、趣味は二の次であると考えを改めたのである。しかし、実用と趣味の問題は、二者択一では叶わない難問である。少々判断が早すぎるのではないか。

コメント

  1. すいわ より:

    庭の広さを有効に活用するのは良い事だけれど、庭が庭として存在する価値もあるはず。ただ生命を維持することだけが「生きる」目的では無い。土地にも向き不向きもあるし、それぞれの役目を果たせば良いのではないかと思います。質実である事を兼好は評価したのでしょうけれど、理屈はどうあれ、実際に庭を畑にするとなれば並一通りの事では済みません。兼好、畑仕事きっとしないと思います。
    「断捨離ブーム」と似ているように思いました。無駄を省くのは良い事だとは思うのですが、同じ物であってもその人によってそのものの持つ価値は違ってきますから、一概に何でも捨て去れば良いというものでもない。

    • 山川 信一 より:

      質実剛健とか、質素倹約とか、耳障りのいいスローガンはいくらもあります。「断捨離」や「ミニマリスト」などもそうですね。どう実行するか、どう維持するかを考えずに飛びつくのは考えものです。
      この時の兼好は、貴族の贅沢三昧の暮らしに嫌気が差していたのでしょう。ただし、一時の思いのような気がします。

タイトルとURLをコピーしました