第二百十八段  狐の実態

 狐は人に食ひつくものなり。堀川殿にて、舎人が寝たる足を狐に食はる。仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師に、狐三つ飛びかかりて食ひつきければ、刀を抜きてこれをふせぐ間、狐二疋を突く。一つは尽き殺しぬ。二つは逃げぬ。法師はあまた所食はれながら、ことゆゑなかりけり。

堀川殿:堀川相国=源基具の屋敷。
下法師:寺院に於ける最下級の法師。

「狐は人に食いつくものである。堀川殿で、舎人が寝ている足を狐に食われる。仁和寺で、夜、本寺の前を通る下法師に、狐が三匹飛びかかって食いついたので、刀を抜いてこれを防ぐうちに狐二匹を突く。一匹は突き殺してしまった。二匹は逃げてしまった。法師は方々食われながら、差し障りはなかった。」

唐突に狐の話を書く。前の話との脈絡が全く無い。時々こうした話題を差し挟むのは、この作品が「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」っていることを示すためだろう。
狐は、洋の東西を問わず、ずる賢い動物とされる。日本では、人を化かすとも言われている。その一方で、稲荷神社では、狛犬の代わりに鎮座し、神の使いになっている。しかし、それはいずれも、俗信によるものであって、その実態は危険な害獣である。俗信に囚われず、その実態を見極めて対処すべきであり、油断してはならない。兼好はこう言いたいのであろう。一理はある。しかし、人を襲う狐はむしろ希なのではないか。俗説にも、それが生まれるだけの理由がある。
当時は、法師でも刀を携帯していたことがわかる。今のイメージで法師を捉えてはならない。

 

 

コメント

  1. すいわ より:

    そうですよね、読みながら「本当かしら?狐は寧ろ臆病だから、こちらが手出ししない限り、襲ってくるなんてことはないのでは?」と思いました。足を齧られたのは鼠だったのでは?襲われたのは懐に何か美味しいものでも(肉?)入れていたのでは(法師なのに)?
    そうだとしたら、とんだ濡れ衣を狐は着せられたものです。狐は家族単位で暮らすので親子の親が突き殺されたのかと思うと哀れです。兼好は町場の人だから知らないのでしょう。恐怖が目を曇らせて真実の姿を見誤らす。本当に恐ろしいのは人の心が先入観に操られること。これを読んで「狐は恐ろしい生き物」と思った人が一定数いるはず。

    • 山川 信一 より:

      確かに、狐の特性から離れていますね。狐と人との関係が歪みかねません。罪な話です。

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