《恋人のような花》

朱雀院のをみなへしあはせによみてたてまつりける  藤原定方朝臣

あきならてあふことかたきをみなへしあまのかはらにおひぬものゆゑ  (231)

秋ならで逢ふこと難き女郎花天の河原に生ひぬものゆゑ

「朱雀院の女郎花合わせに詠んで、献上した  藤原定方朝臣
秋以外には逢うことが難しい女郎花だ。天の河原に生え育ちはしないのに。」

「ならで」の「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形。「で」は、打消の意味を伴う接続助詞。「女郎花」で切れる。以下は、倒置になっている。「生ひぬ」の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「ものゆゑ」は、接続助詞で逆接を表す。
秋以外には、女郎花に逢うことができない。何とも残念なことだ。これではまるで、年に一度しか逢えない織女と牽牛のようではないか。天の河原に生え育っている訳ではないのになあ。
上の句で、女郎花に関する事実を、下の句でそれへの思いを述べている。女郎花が秋の花であるという事実がある。しかし、作者は女郎花をいつも見ていたいので、それが大いに不満なのだ。そこで、七夕伝説に言寄せて文句を言っている。つまり、こう言うことで、自分がいかに女郎花に惹かれているかを表している。自分にとって女郎花は女性の恋人なのだと。

コメント

  1. すいわ より:

    越え難い季節の流れに女郎花との逢瀬を阻まれてしまう。その時しか会えないからこそ思い募るのですね。そう思うと四季変化に富む環境に生れ育つというのは、自然から情感を刺激され、感性豊かになる素地が整っているということになるのか?だからここまで歌文化が花開いたのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      四季の変化が情感を生むのは確かです。季節の風物を恋い焦がれ、愛でて、惜しむといった心を育みます。次には、それを書きとどめたいと思います。こうして、歌文化が発展していったのでしょうね。

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