《女性らしい花》

題しらす 僧正へんせう

なにめててをれるはかりそをみなへしわれおちにきとひとにかたるな (226)

名に愛でて折れるばかりぞ女郎花我堕ちにきと人に語るな

「名前に惹かれて折っただけだよ、女郎花。私が堕落したと人に語るな。」

「ばかりぞ」の「ぞ」は、終助詞。強く断定する気持ちを表す。ここで切れる。「女郎花」は、独立語で、呼び掛け。「堕ちにき」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「き」は、経験の助動詞「き」の終止形。「語るな」の「な」は、終助詞で禁止を表す。
「をみなへし」という何ともゆかしい名前に惹かれて折っただけなのだ。女郎花よ、私が女と名のつく物なら何でも手を出す、堕落した男だと人に語らないでおくれ。
人は言葉を通して自然を見る。すると、自然は言葉の表すものに感じられてくる。そんな言葉と自然の関係を歌にした。「をみなへし」という名がついたのは、この花に女性らしさが感じられるからだろう。すると、逆に、こう名付けられることで、この花が女性そのものに見えてくる。こうして、「をみなへし」と女性は、分かちがたく結びつく。それは、遍昭が、僧であることもあって、女郎花を折ったことへの言い訳を述べざるを得なくなるほどなのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    七草にも数えられる、秋を代表する花ですね。黄色い花と緑の葉のコントラスト、枯れ色になってくる野に彩りを添えます。真っ直ぐ伸び、風に揺られる様は美女と見紛う儚い美しさ、その名を聞かなくても手に入れたくなったのでしょう。迫ってくるように情熱的ではなく、むしろ控えめな所が秋草の魅力、引かれると求めてしまう。「われおちにきとひとにかたるな」すっかり魅了され僧の身でありながら欲望に抗えなかった。その名に言寄せる事で罪深さがより強調され、一層その美しさを引き立てているようです。

    • 山川 信一 より:

      「その名を聞かなくても手に入れたくなったのでしょう」とありますが、その名を聞いたからこそ、折り取ったのです。この歌は、名の持つ力を言っているのです。「『をみなえし』がそんな名前で無かったら、折ることはなかった。その名がお前の魅力を引き出さなかったならばね。お陰で、私は女たらしの汚名を負うことになるかも知れない。みんなその名のせいなのだ。」とても言いたいのではないでしょうか。

      • すいわ より:

        「なにめてて」、名有りきなのですね。名から入っている。納得しました。秋の魅力に手を出さずにいられなかった事の言い訳を名のせいにした、と思ってしまいました。

        • 山川 信一 より:

          『古今和歌集』の歌は、油断がなりませんね。決してつまらないことを詠んでいません。詠み手との知恵比べですね。

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