第二百十二段  教養の働き

 秋の月は、かぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心憂かるべき事なり。

「秋の月は、この上なく素晴らしいものである。いつであっても月はこのようにあるのだと思って、その区別がつかないとしたら、その人は、接する人にとって気にくわないはずに違いない。」

秋の月の美しさがわからない人への苦言である。秋の月の美しさが感じられるのは、教養の差によるものだ。事実、秋の月は、他の季節とは違う輝きをしている。しかし、その差は微妙なものであり、それが感じられるのは、和歌などを通して、その見方を身に付けているからだ。つまり、詩人の発見に負うているのである。「月は月でいつも変わらない。」などと言う者は、結局教養に欠けていることになる。だから、無教養な者とは付き合いたくないと言うのだ。
たとえば、日本人が虫の音に情緒を感じるのは、文化的伝統によるものだ。だから、たとえ自然に触れる機会が少なくなったとしても、和歌などを通して文化的伝統を身に付ければ、自然との関わり方を忘れることはないのである。

コメント

  1. すいわ より:

    「青い月」だって、月が本当に青い色になっている訳ではありませんよね。でも、共有できる感覚。これも月を愛でる心が伝え伝わった結果なのですね。ペーパーレスになって手に取るものが本からスマートフォンに変わっても、掌の宇宙から様々な刺激を受けて感性を磨き続けたら、きっと、千年後の誰かも月の青さを愛でてくれるかもしれません。
    今、古典を学べて幸せです。

    • 山川 信一 より:

      欧米では、「青い月」は有り得ないことを表すとか。けれど、日本人には、時に月は青く見えるのです。実際に、先の十五夜の月は、真夜中に見た時、私には青く見えました。これぞ、言葉の力、伝統の力です。古典を大事にしたいですね。

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