《萩の落花》

題しらす よみ人しらす

はきかはなちるらむをののつゆしもにぬれてをゆかむさよはふくとも (224)

萩が花散るらむ小野の露霜に濡れてを行かむさ夜は更くとも

「萩の花が今ごろ散っているだろう小野、その露に濡れて行こう。夜は更けても。」

「萩が花」の「が」は、格助詞で連体修飾語を作る。「の」よりも、気持ちが籠もる。「らむ」は、現在推量の助動詞の連体形。「露霜」は歌語で「露」のこと。「を」は、間投助詞で詠嘆を表す。「行かむ」で切れる。以下は倒置になっている。「さ夜」は、歌語で「夜」のこと。「さ」は接頭辞。
萩の花が今ごろ散っているように思えてならない。気がそわそわする。この季節を代表する萩の花が散ってしまうのだ。その前にどうしても見ておきたい。萩の花が咲く小野は、寒さが増してきたこの季節、もう夜が更けて来ているのだから、一面に露が降りているだろう。行けば、衣は露にしとどに濡れるに違いない。しかし、濡れたって構いやしない。それでも行きたい。萩の落花を思うと、居ても立ってもいられない。散る姿を一目でも見ておきたいのだ。
ます、自分の想像を述べる。萩の花、露の降りている小野、そこを露に濡れながら訪ねる自分自身の姿をありありと思い描く。それによって、家にあって、自分がどれほど萩の花に惹かれているかを表す。次に、自分が置かれている条件を夜更けで、見に行くにはふさわしい時間帯でないことを付け加える。それによって、萩の花を見に行きたいという思いの強さを表す。

コメント

  1. すいわ より:

    「が」と「の」、どう使い分けているのかと思っておりました。「が」の方がより対象が絞られるのでしょうか。
    萩の花が散るのと「露霜」と「霜」がつくことでまた一歩、秋が深まった事が感じられます。「小野」は固有名詞なのでしょうか。「小さい野」「露」「さ夜」とそれぞれの細やかさ、儚さを感じさせる「静」とは対照的に、その細やかなものの為に夜が更けようと、露に濡れようと花の花たる最後を見届けようと動く詠み手の「動」。待たない秋への強い思いが伝わります。

    • 山川 信一 より:

      「が」と「の」は、話し手の対象への思い入れの違いによります。「が」の方が強い。「の」が単に所属関係を示しているのに対して、「が」は強い結びつきを表します。その結果、「が」によって結ばれた語は、一語化します。「君が代」「我が家」「我が宿」
      「小野」は、固有名詞です。漢字にすれば「小」になりますが、音は「お」ですから、特に小ささは感じられません。むしろ、一面に露が降りた野の広がりを感じます。
      さて、作者は実際にそこに向かったのでしょうか。こう思ったことで完結しているような気もします。

      • すいわ より:

        「君が代」「我が家」、、なるほど納得しました。
        「見に行こうとする」勢いは感じられるものの「そういう気持ち」に留まっていそうですね。貴族、恐ろしさの方が優って闇夜の野原に出なそう。萩を惜しむのも「をりてみはおちそしぬへき」の歌の方がすっと情景が入ってきました。

        • 山川 信一 より:

          人間は言葉にしてしまうと、満足してしまうものですよね。ここでは、そういう気持ちになったことが重要なのです。実際に行くかどうかは、あまり問題ではありません。

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