《秋の連想》

これさたのみこの家の歌合によめる 藤原としゆきの朝臣

あきはきのはなさきにけりたかさこのをのへのしかはいまやなくらむ (218)

秋萩の花咲きにけり高砂の尾の上の鹿は今や鳴くらむ

高砂:兵庫県高砂市付近の地名。

「是貞親王の家の歌合わせの歌  藤原敏行朝臣
秋萩の花が咲いたことだなあ。高砂の山の頂の鹿は今鳴いているだろうか。」

「にけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。ここで切れる。「今や」の「や」は、係助詞で強調。係り結びとして働いて、結びを連体形にする。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の連体形。
庭の秋萩の花が咲き始めたことだなあ。高砂の山の上にいる鹿は、萩の花が咲くのを待っているから、今ごろ鳴いているだろうか。」
目の前のものに感動するのは、自然な心の働きである。しかし、心には連想という作用がある。作者はその感動に留まらず、目前の萩の開花から遠く離れた名所の鹿の鳴き声を思いやっている。萩には鹿が似合う。これは文化的伝統である。見える物から見えない物を連想し、理想的な取り合わせを求めるのは、文化的な心の働きである。この歌は、こうした二つの心の働きをテーマにしている。

コメント

  1. すいわ より:

    「マリアージュ」なのですね。それぞれ単体であっても価値のあるものが出会うことで相乗倍の効果をもたらす。
    庭の萩の花が咲いた。あぁ、今年も秋がやって来た。秋風に揺れる萩を見ていると、遥か彼方、山の上に棲む鹿へと思いが運ばれる。ここから姿は見えないけれど、咲く花を呼んで鹿は鳴いているのだろうか。風ではなく、その声の響きに萩の花は震えたのだろうか、、ごく身近な所で見つけた小さな秋の気配から、目に見えぬ遠方まで一息に秋の情景が広がっていきます。

    • 山川 信一 より:

      「マリアージュ」!なるほど、いいたとえですね。萩と鹿、その組み合わせが互いのよさを引き出しています。想像力とはこんな風に広がるのですね。
      これも季節の楽しみ方ですね。

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