《寂しさへの共感》

題しらす よみ人しらす

あきはきにうらひれをれはあしひきのやましたとよみしかのなくらむ (216)

秋萩にうらびれをればあしひきの山下響み鹿の鳴くらむ

「秋萩に思いしおれているので、山の麓が鳴り響く状態で鹿が鳴いているのだろう。」

「うらびれをれば」の「ば」は接続助詞で、原因理由を表す。「あしひきの」は、「山」の枕詞。「鳴くらむ」の「らむ」は、助動詞で原因理由の推量を表す。
萩に寂しい気持ちで元気を無くしている。でも、何が?なぜ?その理由は以下の通り。相棒の萩が散ってしまって寂しいので、山裾を長く引くあの高い山の麓まで鳴り響くほどの大きな声で鹿が鳴いているのだろう。
作者は、鹿の鳴く声の大きさに驚いている。その大きさを表すのに、山の麓が鳴り響くほどだと表現する。その時、山の大きさを伝えるために「あしひきの」という枕詞を用いる。これで山の雄大さが強調され、更には、その麓を鳴り響かせる鹿の声の大きさが強調される。そして、鹿がそれほどなく理由を、相棒の萩が散ってしまい寂しいからだと言う。それによって、鹿が紅葉した萩の落ち葉を踏む様子が目に浮かび、前の歌よりもまた一歩季節が進んだことがわかる。
歌の構成としては、まず秋萩にうらびれていると言う。主語を省くことで、読者に「何が?なぜ?」と思わせ、読者の関心を引き付ける。読者は下まで読むことで、主語が「鹿」であり、なぜ鳴くのかを知る。鹿が秋に寂しさを感じているのだと。そして、その寂しさは作者自身のものでもあることを知る。更に、読者自身のものであることも。ついに、秋の寂しさの中に鹿と作者と読者が一体となる。

コメント

  1. すいわ より:

    枝垂れた萩の枝は寂しさに項垂れているようにも見える。その枝を秋の風が揺らし色付いた葉を落とす。その様子に誘われてか、背中に萩の葉模様を纏って鹿が山を震わすほどの声で鳴いている。そうか、山裾の萩を震わせたのは風ではなく、秋が深まり、散り行く萩を惜しんで鹿が鳴いて(泣いて)いるからなのだろう。詠み手も読み手も、鹿の声を指揮者に秋という一点を見つめさせられます。

    • 山川 信一 より:

      情景が目に浮かんでくる鑑賞です。その色彩、寂しい声によって、秋の寂しさに誘われますね。

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