《寂しさはかなしみに》

題しらす よみ人しらす

きみしのふくさにやつるるふるさとはまつむしのねそかなしかりける (200)

君しのぶ草に窶るる古里は松虫の音ぞかなしかりける

「私は君を偲んで衰え、家は忍ぶ草に荒れる古里は、松虫の音こそがかなしいことだなあ。」

「君しのぶ草」には、「偲ぶ」と「忍ぶ草」が掛かっている。「松虫」は「待つ」を暗示する。「ぞ」は係助詞で強調を表し、係り結びとして働き、文末を連体形にしている。「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
いくら待っても来てくれない君を偲ぶ。その思いの切なさに、私はすっかりやつれ衰えてしまった。そして、この家は忍ぶ草が生い茂ってみすぼらしく荒れ果ててしまった。そんなこの土地には、松虫が頻りに鳴いている。気付けば、なんとその音のかなしく聞こえることか。
「古里」は以前から住んでいる土地の意。作者はその場所で君が来るのを待っている。となれば、作者は女だろう。男はいっこうに訪ねて来ない。愛しい男を待つ思いの切なさに、作者は心ばかりか容貌までも衰えてしまう。そして、作者の堪え忍ぶ心が忍ぶ草を生やしてしまい、家はひどく荒れ果ててしまった。いや、それだけではない。折しも、松虫が鳴いている。(松虫は、今の鈴虫である。)松虫の音は、作者のかなしみそのものであり、この土地までもかなしみで包み込み込み込んでしまう。人・家・土地は、一繋がりのものなのだ。(歌謡曲に「何もかもあなたがいなければ 一から十までひとり・・・ピアノに問い掛けてみたけど」(『私はピアノ』)とあるのは、この歌の心である。)
秋とは、松虫の音がすべてのものをかなしみで包み込む、そんな季節である。

コメント

  1. すいわ より:

    「人・家・土地」、根を張ってそこから動けない身はただひたすらに待つしかない。「枯れる」と完了するより「窶るる」としてその経過を想像させる事で「待つ」事の長さが強調されるようです。松虫の鳴き声に満たされたふるさと、過去ばかりが降り積もっていて、そこから離れられない悲しみ。
    「あなたがいなければ 一から十までひとり」たった一つのピースが欠けるだけで世界が成立しない、色付く秋なのに全ての色彩が失われてしまうのですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、待つのは過程であり、結果ではありませんね。ならば、枯れるよりも窶れるの方がふさわしいですね。待つ過程で、女のかなしみは、その身から生まれて家へ土地へと広がっていきます。
      松虫の音は、そのかなしみに共鳴するかのようです。

  2. らん より:

    ずっと待ってるけど待ちぼうけ。
    つらいですね。
    時間が経って容貌も衰えてしまい、松虫も待つ虫と捉えると、すごくつらく、寂しく悲しい想いが伝わってきました。
    しのぶという言葉はせつない言葉ですね。

    • 山川 信一 より:

      秋は恋をひときわかなしく感じさせる季節ですね。恋とは、ひたすら偲ぶこと。一人悲しむこと(孤悲)です。
      時を超えて心に響く歌ですね。

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