《人も蟋蟀も》

題しらす よみ人しらす

あきはきもいろつきぬれはきりきりすわかねぬことやよるはかなしき (198)

秋萩も色付きぬれば蟋蟀我が寝ぬごとや夜はかなしき

「秋萩も色付いてしまったので、蟋蟀は私が寝られないように夜はかなしいのか。」

「秋萩も」の「も」は係助詞で、他の紅葉を暗示している。「色付きぬれば」の「ぬれ」は自然的完了の助動詞「ぬ」の已然形。「ば」は接続助詞で原因理由を表す。「ごとや」の「や」は、係助詞で疑問を表し、係り結びとして働き、文末を連体形にする。「夜は」の「は」は係助詞で、取り立ての意を表す。「かなしき」は形容詞「かなし」の連体形。
秋萩までも紅葉してしまった。秋の深まりを感じずにはいられない。すべての物が私をかなしみに誘う。そのかなしみに夜も寝られない。夜になると、蟋蟀が一晩中鳴いている。あれは、私のように夜はかなしくて寝られないのだろうか。
秋萩の紅葉によって、色彩を加え、秋の深まりを強く印象づける。そのため、対照的に夜の闇が際立つ。蟋蟀が夜通し鳴いている。その訳を自分のようにかなしいからだと解き明かす。それによって、自然との一体感を表している。秋とは、人と自然とが分かちがたく溶け合う季節なのである。

コメント

  1. すいわ より:

    「あきはきも」の“も”で萩単体からぐっと視界が開けて紅葉する周りの木々が見えてくるようです。
    萩の花を思い浮かべ、その花も落ち、葉が黄色く色付いてくる所まで秋が深まってきている。物思いも深まり眠れぬ夜。蟋蟀も夜通し鳴いている、お前も悲しいのかと問いかけてもその姿は萩の叢の中。寂しさが一層募るようです。

    • 山川 信一 より:

      「秋とは、人と自然とが分かちがたく溶け合う季節なのである。」は、「秋の夜は、人と自然とが分かちがたく溶け合う時間なのである。」と言い換えた方がいいかもしれません。
      蟋蟀の姿は、「萩の叢の中」と言うよりは、夜の闇の中にあるようです。

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