第百七十八段  望ましい振る舞い

 或所の侍ども、内侍所の御神楽を見て、人に語るとて、「宝剣をばその人ぞ持ち給ひつる」などいふを聞きて、内なる女房の中に、「別殿の行幸には、昼の御座の御剣(ぎょけん)にてこそあれ」と、しのびやかに言ひたりし、心にくかりき。その人、古き典侍(ないしのすけ)なりけるとかや。

内侍所:宮中で三種の神器の一つである八咫鏡を祭ってある所。
御神楽:神を慰めるため、神前で奏する歌舞。
宝剣:三種の神器の一つである草薙の剣。本物は熱田神宮にある。
昼の御座:清涼殿の中にあって天皇が日中おいでになる御座所。その南端に御剣を置く。
典侍:内侍の司の次官。

「ある家の家人たちが内侍所の御神楽を見て、人に語る時、『宝剣はその人がお持ちになった。』などと言うのを聞いて、殿上にいる女房たちの中で、一人が『別殿への行幸では、昼の御座の御剣であるのだが・・・』と、小声でひそやかに言ったのは、奥ゆかしかった。その人は、年季の入った典侍だったということだ。」

有職故実にまつわる話である。宮中での行事は、決められた仕方に則ってなされている。だから、それを知らずに、自分勝手な解釈をしてはならない。一方、古くから勤めている者たちは、そのことをよく心得ている。しかも、そういう者たちは、誤りを正すにしても、間違った者の面目を気遣う奥ゆかしさがある。見習いたいものだ。兼好はこう言いたいのだろう。経験を表す「き」が使われているから、兼好はその場にいたことがわかる。兼好もその家人と同様に思っていたのだろう。それで、前段に繋がる。何かを解釈する際、相手の間違いを正す際の参考になる。

コメント

  1. すいわ より:

    「侍ども」と「古き典侍」、武人と宮に仕える者を比べたのだろうか、と思いました。兼好、「しのびやかに言ひたりし」、この態度にも好感を持ったのでしょう。人となりに職業や身分は関係ないのでしょうけれど、武が世を回し、伝統、文化も軽んじられる風潮を苦々しく思っていたとしたら、この些細な出来事は兼好にとって印象深いものだったと思います。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、「侍ども」と「古き典侍」が対照されていますね。そこには、伝統文化に対する素養・教養の差が歴然としています。しかも、それは奥ゆかしさという態度にも繋がっています。兼好は「古き典侍」の側に立っていますね。ただ、兼好は、宝剣・御剣のことをそこまで知っていたのでしょうか。「心にくかりき」という感想の大きさから兼好自身その場で知ったように思えます。

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