《答えの出ない秋》

これさたのみこの家の歌合によめる  大江千里

つきみれはちちにものこそかなしけれわかみひとつのあきにはあらねと (193)

月見れは千々に物こそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど

「是貞親王の家の歌合に詠んだ  大江千里
月を見るとあれこれと限りもなくもの悲しいけれど・・・。私一人の秋ではないのに。」

「見れば」の「ば」は接続助詞で、「その事があると、いつも後に述べる事柄が起こる」という意を表す。「こそ」は係助詞で強調。係り結びとして働き、文末を已然形に変える。以下に逆接で繋げる。「かなしけれ」は形容詞「かなし」の已然形。ここで切れる。下の句は、倒置になっている。
秋は私一人にだけ訪れた訳ではない。それはわかっている。しかし、秋は一人ぼっちの寂しさを感じる。秋の月を見ていると、私の心は、かなしさで千にちぎれるほど乱れてしまう。しかし、本当のところ、どうなのだろう。
「千々」と「一つ」が対照されている。そのことでこの歌の印象を強めている。しかし、この表現は、そのための単なる修辞ではない。事実「一人」ぼっちの寂しさが「千々」に乱れるかなしさ誘うと言うのである。寂しさとかなしさは、隣り合っている。一方が一方を誘う。どちらが原因かは判然としない。
上の句と下の句は、形の上では倒置の関係にある。しかし、それぞれが独立して、答えのないつぶやきになっている。「~悲しいけれど・・・」「~秋ではないのに・・・」この答えの出ない問い掛けをさせるのが秋である。

コメント

  1. らん より:

    月をみて愛しい人でも思い出して寂しくなるのでしょうか。
    秋の月、ミステリアスで美しいですよね。
    秋はセンチメンタルになっちゃいます。共感します。

    • 山川 信一 より:

      秋の気分をよく表していますね。自分だけが悲しいのかと思えば、さにあらず、誰しもそうなのです。

  2. すいわ より:

    なんとなく寂しい。何故か?思いを巡らすと、あの事この事、様々な記憶が立ち上がってくる。そう、秋は私にだけ訪れているのではない。私の思いだけでもこんなに溢れるのに一人びとりにその思いがあって、それぞれが月の面に映して見ている。たった一人の、それそれの寂しさは丸い月に満ち満ちて悲しさとなってこぼれてくる。これをまた受け取ってしまうから秋の寂しさは切れ目なく続いてしまうのですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、月の光を見て悲しくなるのは、月が多くの人の寂しさを映し出していて、それを受け取ってしまうからなのですね。

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