第百七十六段  黒戸の謂われ

黒戸は、小松御門位につかせ給ひて、昔ただ人におはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常にいとなませ給ひける間なり。御薪(みかまぎ)にすすけたれば、黒戸といふとぞ。

黒戸:内裏の清涼殿の萩戸。
ただ人:天皇・皇族・摂政・関白に対してそれ以下の位の人。

「清涼殿の黒戸の間は、小松の帝である光孝天皇が位におつきなられて、昔ただ人でおいであそばされた時、戯れ事をなさったのをお忘れにならないで、常に炊事をなさった間である。御たきぎで煤けているので、黒戸と言うとか。」

萩戸がなぜ「黒戸」と呼ばれるかの考証である。「まさな事」とは、戯れ事、冗談事の意で、親王自身が炊事をなさったこと言う。親王の身分から言えば、炊事は「まさな事」である。親王が自ら炊事をなさることも普通ではないのに、天皇になってからもなさった。それで、戸が薪で煤けて黒くなったので、この名が付いたと言う。このエピソードを通して、光孝天皇の人となりを伝えている。できたお方だったと言いたいのだろう。恐らく酒をお飲みになっても、乱れることはなかったに違いない。前段のとの繋がりから言えば、そんなことを暗示しているのか。いずれにせよ、短い話題にしてメリハリをつけている。

コメント

  1. すいわ より:

    きっと、やんごとない方としては「変わり者」だったのでしょうね。「食」を大切にされていた。炊事という汚れ仕事を自らなさる事を周囲は止めたかもしれない。それでも食べる事は身分の貴賎を問うものではないから、天皇の地位に就こうが構わずお続けになられたのでしょう。周りから見れば「まさな事」、戯れ、気まぐれに厨房に入られて、と思われていたかもしれない。でも、たかが気まぐれで数日やったところで一朝一夕に黒くはならない。日々積み重ねて続けたればこその「黒戸」。法師たちにも見習ってほしいですね。

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