第百七十五段  酒による醜態

 人のうへにて見るだに心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛高くかかげて、用意なき気色、日来の人とも覚えず。女は額髪はれらかにかきやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取りつき、よからぬ人は肴取りて口にさしあて、自らも食ひたる、さまあし。声の限り出して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒くきたなき身を肩抜ぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへ、うとましく憎し。あるは又、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひきかせ、あるは酔ひ泣きし、下ざまの人は、罵(の)りあひ、いさかひて、あさましくおそろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、あやまちしつ。物にも乗らぬきはは、大路をよろぼひ行きて、築土・門の下などに向きて、えもいはぬ事どもしちらし、年老い、袈裟かけたる法師の、小童の肩をおさへて、聞えぬ事ども言ひつつ、よろめきたる、いとかはゆし。

「他人事として見ることさえ嫌になる。思慮深い様子で、奥ゆかしいと見た人も、何の思慮も無く笑い大声で騒ぎ、やたらに話し、烏帽子は曲り、紐を外し、着物を脛が見えるまでまくり上げて、気配りも無い様子は、いつもの人とは思えない。女は額の髪を露わにかき上げ、恥ずかしげもなく顔を上にあげて大笑いし、盃を持っている手に取り付き、下品な人が酒の肴を取って相手の口に押し当てて、自らも食っているのは、みっともない。声を張り上げて、めいめい歌い舞い、年老いている法師が呼び出されて、黒くきたない身を肌脱ぎになって、目もあてられない格好で身をくねらせている、それを面白がって見ている人までが嫌な感じで憎らしい。あるいはまた、自慢話などを聞いていられないほど言い聞かせ、あるいは酔い泣きをし、下層階級の者は、悪口を言い合い、喧嘩をして、呆れはて、恐ろしくもある。恥ずかしく、嫌なことばかりあって、終いには相手が許さない物などを無理矢理奪って、縁側から落ち、馬・車から落ちて、しくじってしまう。物にも乗らない身分の者は、大通りをよろけて歩いて行って、築土や門の下などに向いて、口にできないことなどを次々にしでかし、年老い、袈裟をかけている法師が少年の肩を押さえて、意味のわからないことなどを言いながら、よろめいているのは、非常に恥ずかしい。」

酒による醜態を更に詳しく具体的に描写している。その醜さは女でも、年を取っていても、身分が高くても低くても変わらない。酒は、いつもは思慮深く真面目そうに見える人でも別人に変えてしまう。行儀が悪くなり、気配りもできなくなる。その描写はリアルであり、かつ典型的である。酒を飲めば、誰もがこういった醜態をさらすことになる。その様子は誰もが見知っている。これには、到底反論できない。これは紛れもない事実だからである。事実の前に議論は無意味になる。解釈の余地があるからこそ、議論になる。事実の前に議論無し。兼好は、酒がいかに害悪であるかという、その事実をもって証明している。

コメント

  1. すいわ より:

    酔っ払い達の様子がありありと思い浮かべられます。兼好は随分と嫌な思いをしたのでしょうね。いつもとの差があればある程、幻滅するでしょうし、酔っ払い本人がしでかしたことを覚えていないとなると始末に負えない。程々で止める事は出来ないのでしょうか?出来ていたら兼好がこんな事を書く必要もないし、酔っ払いは絶滅して現代に生き残っておりませんね。
    それにしても法師の堕落ぶりは健在で兼好が怒るのも無理もない事です。

    • 山川 信一 より:

      恐らくこの段も法師に向けて書いているのでしょう。その醜態を鏡のように描き出しています。これでもかと思えるほどに。兼好の酔っ払いへの怨念さえ感じられます。
      それでも、人は酒を飲むことを止めません。酒ほど気を紛らわせてくれるものがないからです。人は気を紛らせることなく生きて行けない動物です。

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