《星から月へ》

題しらす よみ人しらす

このまよりもりくるつきのかけみれはこころつくしのあきはきにけり (184)

木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり

「木の間から漏れてくる月の光を見ると、物思いに気の尽きる秋は来てしまったことだなあ。」

「秋は」の「は」は、取り立ての意を表す。秋が来たという事実をそのまま述べた訳ではない。「来にけり」の「に」は自然的完了の助動詞の連用形で、始まりを意味する。「けり」は、そのことに気づいて感動する意を表す。
秋の月はひときわ美しい。木の間から漏れる月の光は格別だ。ただ、それを見ていると、寂しさがどこからかやって来る。秋の月の光は、物思いも一緒に連れてくるらしい。これからずっと物思いに耽ることになるに違いない。そんな秋がとうとうやって来てしまったことだあ。
七夕が終わり、人々の関心は星から月へと移る。秋は、何と言っても月が美しい季節であり、月の美しさを味わい楽しむことができる。ただし、その一方で、月の光は、秋が物思いの季節でもあることを知らせる。この先心がかなしみでいっぱいになるという予感がする。そんな季節感を詠んだ。季節がまた一歩進む。

コメント

  1. すいわ より:

    「つきのかけ」、月を直接見ているのではないのですね。木々の葉の間から差し込む無数の仄かな光の点、あれは星ではなく待ち望んだ秋月の光。あの月に誰を映して歌を贈ろう。そんな様子を月は遥か上空から眺めているのでしょう。恋は実るのか、悩ましい秋の夜長の始まりの頃、なのですね。

    • 山川 信一 より:

      木の間から漏れる月の光は、遮られるためにかえって美しく感じられます。想像力を刺激するからです。そして、同時に手の届かない何か(もちろん恋も含まれるでしょう)を連想させます。それ故に人を物思いに誘うのでしょう。

  2. らん より:

    木の間から漏れる月の光、なんとも美しいですね。
    秋は物思いにふけっちゃう季節です。
    いっぱい考えちゃいそうですね。

    • 山川 信一 より:

      木の間から漏れるために、月の光はいっそう美しく、緒の思いに誘うのでしょう。
      その様子が目に浮かんできますね。

タイトルとURLをコピーしました