《秋の短夜》

寛平御時、なぬかの夜うへにさふらふをのことも歌たてまつれとおほせられける時に、人にかはりてよめる とものり

あまのかはあさせしらなみたとりつつわたりはてねはあけそしにける (177)

天の河浅瀬白浪辿りつつ渡り果てねば明けぞしにける

「宇多天皇の御世、七夕の夜に殿上人たちに歌を献上しろと帝がおっしゃった時に、人に替わって詠んだ  友則
天の河の浅瀬を知らないので白波の立つところを辿り辿りしながら向こう岸に渡り果てないのに、夜が明けてしまったことだなあ。」

「白波」は、「知らな(い)」が掛かっている。「つつ」は反復を表す接続助詞。「渡り果てねば」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は接続助詞。「ねば」は逆接を表す。「ぞ」は係助詞で強調。係り結びとして働き、文末を連体形にしている。「し」は強意の副助詞。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
天の河の浅瀬を辿って徒歩で渡ろうと思う。ただ、浅瀬がどこにあるのか知らないので、白波が立つ辺りがそれだろうと推測して、その辺りを辿り辿りやって来た。しかし、なかなかはかどらず、なかなか向こう岸に渡り着くことができない。まだ織り姫に逢うことができないのに、とうとう夜が明けてしまったことだなあ。今年は逢うこともできないのか。
彦星になって詠んだ歌である。織り姫に逢うことができないうちに夜が明けてしまったことを嘆いてみせる。そのことで、天の河の逢瀬を想像しているうちに夜が明けてしまうこと、つまり、帝との楽しい夜を十分に堪能できない内に夜が明けてしまうことが残念だと言うのである。このことは、次のような秋の季節感が前提になっている。秋とは言え、まだ始まったばかりである。秋の夜長にはほど遠く、短夜が続いている。短夜は夏ばかりではないと言うのだ。ここにこの歌の発見がある。

コメント

  1. すいわ より:

    七夕の宴は大変に盛り上がっていたのでしょう。皆、上機嫌で甘露(あまのかわ)を仰いでふらふら。足元も覚束ない誰かに代わって友則が歌を詠む。
    楽しい今宵、つい深酒して千鳥足になって天の川を渡る事も出来ないまま(歌を詠めない)夜が明けてしまったことよ。
    彦星の、思いの届かない切なさを詠みつつ、宴の夜の短さに名残惜しみつつ、代理で詠んだ歌、何か楽しげです。

    • 山川 信一 より:

      歌の鑑賞には、詞書きが欠かせません。詞書きを抜きにして歌を味わう訳にはいきません。歌と詞書きがセットになることで、表現内容が限定もされ広がりも見せます。この歌では、秋の短夜の宴がありありと目に浮かんできますね。

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