《霧と天の河》

題しらす よみ人しらす

こひこひてあふよはこよひあまのかはきりたちわたりあけすもあらなむ (176)

恋ひ恋ひて逢ふ夜は今宵天の河霧り立ち渡り明けずもあらなむ

「長い間恋い続けて彦星と逢う夜は今夜のみ。天の河は霧が一面にかかり、夜が明けないで欲しい。」

「恋ひ恋ひて」の繰り返しは、強調表現。「逢ふ夜は今宵」で切れる。「は」は「逢ふ夜」を取り立て、限定している。「霧り」は、動詞「霧る」の連用形。「あらなむ」の「なむ」は、終助詞で、他への願望を表す。
私は長い長い間ずっと彦星様のことを恋い慕いこの夜を待っておりました。そして、ようやく今宵お逢いすることができます。でも、それは一年にたった一度の今宵だけの逢瀬なのでございます。ですから、神様、天の河は一面に霧が掛かって暗いままにしてください。決して夜が明けないで欲しいのです。彦星様がお帰りにならないように。
この歌も織女の気持ちになって詠んでいる。一年にただ一度の逢瀬を愛おしむ思いを表している。夜が明けないためには、霧が一面にかかり立ち籠めて暗いままであればいい。「霧り立ち渡り」と動詞を三つ重ねていることでその過程と様子を印象づけている。
織女の思いに重ねて、秋の夜をいつまでも楽しんでいたいという思いも表している。秋の夜は明けて欲しくないのである。折しも、霧が少し出て来た。そこで、霧が一面に掛かって欲しいと思う。たとえ天の河が見えなくなっても、織女の思いを考えればそれでもいい。こんな風にロマンチックな思いに耽っているのが秋の夜なのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    待ちに待ったこの日。前の歌では橋を渡して、この歌では霧のベールが掛かって行く。クライマックスに向かって景色がどん広がりを見せて行きますね。天上のドラマは盛り上がって行きますが、恋人同士の逢瀬を覗くのは野暮、霧の帳の向こう側はそっとしておきましょう。
    詠み手は霞む天の川を仰ぎつつ、秋の夜長を楽しんでいるのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      春の霞、秋の霧は、いずれも何かにベールをかけるもの。しかし、そのためにかえって想像力を刺激します。
      ぼんやりしたものを心に思い描いて楽しむことも、喜びの一つですね。

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