《秋を帰したくない》

題しらす よみ人しらす

ひさかたのあまのかはらのわたしもりきみわたりなはかちかくしてよ (174)

久方の天の河原の渡守君渡りなば楫隠してよ

「天の河原の渡守よ。君が渡ってしまったら楫を隠してしまえ。」

「ひさかたの」は「天」に掛かる枕詞。「渡守」は呼び掛け。ここで切れる。「渡りなば」の、「な」は自然的完了の助動詞「ぬ」の未然形。「なば」で仮定を表す。「楫隠してよ」の「てよ」は、意志的完了の助動詞「つ」の命令形。「ぬ」と「つ」が対照的に用いられている。
天の河原の渡守さん。彦星様をここまで連れてきてありがとう。でも、あの人が渡ってしまったら、楫を隠しちゃってね。もう帰したくないから。
この歌も織女になったつもりで詠んでいる。秋は旧暦の七月から始まる。その最初の一大イベントは七夕である。それを題材にした秋の気分を詠んだ歌が続く。ようやく逢えたのだから、愛しい人を帰したくない、そんな切ない女心を茶目っ気を込めてユーモラスに表現している。
これは、秋になってようやく涼しくなってきのに、度々暑さがぶり返す、それへの思いを暗示している。つまり、一度来た秋をもう帰したくないという思いに重ねているのである。

コメント

  1. すいわ より:

    前回の歌といい、織女の心になぞらえて待ちに待った秋の到来を喜ぶ様子が伝わってきます。やっと訪れた秋に気持ちも高揚して茶目っ気たっぷり。やっと来たのだもの、帰したくない。「帰らないで」と直接言うのでなく、「帰さない」為にさせる事が可愛らしい。渡守へのお願い、彦星にも聞こえているでしょう。たとえ帰れても帰りたくなくなりますね、きっと。秋は始まったばかり、深まって行くのはこれから。

    • 山川 信一 より:

      自然と人事を巧みに取り合わせていますね。自然詠に徹しなくても、季節感が表現できることを証明しています。初秋の弾むような気分が伝わって来ますね。

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