《お断りの歌》

となりよりとこなつの花をこひにおこせたりけれは、をしみてこのうたをよみてつかはしける  みつね (167)

ちりをたにすゑしとそおもふさきしよりいもとわかぬるとこなつのはな

塵をだに据えじとぞ思ふ咲きしより妹と我が寝る常夏の花

「隣から常夏の花をくださいと使いを寄こしたので、惜しんでこの歌を詠んで贈った 躬恒
塵ひとつでさえも置かすまいと思う。咲いた時から。妻と一緒に私が寝る床という名前を持つ床夏の花を。」

「だに」は副助詞。それ以外にもっと有ることを暗示する気持ちを表す。「じ」打消意志の助動詞。「ぞ」は係助詞で強調。係り結びで、「思ふ」に掛かる。「思ふ」は連体形でここで切れる。以下は、「思ふ」内容が倒置になっている。「咲きしより」と「妹と我が寝る常夏の花」が別々に「思ふ」に掛かる。
常夏の花(=撫子の花)綺麗に咲いた。それを見て、隣の人がくださいと言ってきた。大切に育ててきた花である。折ってあげるなどしたくない。かと言って、近所づきあいも蔑ろにできない。代わりに歌を詠んで贈ることで、角が立たないようにお断りしよう。
まず「塵をだに据えじと思ふ」と言うことで、「まして折ってあげるなどとは思いもよらない」という気持ちを表す。これは、大切に育てていることを伝えつつ、なぜかと言う疑問を持たせるためである。次に、それに答える。以下に理由が倒置されている。
まず、咲いた時からこう思っているからだと言う。今に始まったものではない、思い入れが違うのだと。次に、それがどれほど強いのかを説明する。「常夏」の「とこ」は「床」に通じる。床と言えば妻と自分が寝る「寝床」である。ならば、そこには塵一つ置きたくないほど大切な場所である。「常夏」の花への思いはそれと同じなのだ。だから、まして、折ることなどとんでもないのだと伝える。
なるほど、こんな気の利いた歌を贈って貰えれば、断られた方も嫌な気はしないだろう。それどころか、むしろ嬉しく思うかも知れない。歌にはこんな役割を持たせることができる。歌は何よりの贈り物にもなる。

コメント

  1. すいわ より:

    これならば、手塩にかけ大切に育てたもの、だからお譲りする事は出来ない、ということが相手にしっかりと伝わりますね。現代の方が伝える手段は多岐に渡っているはずなのに、お互いに心を通わせる事が下手になってきているように思います。相手を思い遣りつつ自分の意思を簡潔にしっかりと伝える。平安人から学ぶ事、たくさんありそうです。

    • 山川 信一 より:

      同感です。心を通わせる手段としての短歌を復活させたいですね。お手本がここにあります。
      さて、この歌は、常夏の花がいかに美しいかも伝えています。美しさのこんな表し方もあるのですね。

      • すいわ より:

        「常夏」の花ですものね。妻への情熱もずっと続く、そんな象徴にも思えます。この時代には「撫子」とは呼ばれていなかったのかもしれませんが、「なでし子」、愛情を傾けたくなる風情の花なのでしょう。

        • 山川 信一 より:

          「撫子」という名もありました。それをここでは敢えて使わずに「常夏」の方を使ったのです。それでいて、「撫でし子」の含みも持たせているはずです。

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