第百五十二段  偽りの反応

 西大寺の静然上人、腰かがまり、眉白く、誠に徳たけたる有様にて、内裏へまゐられたりけるを、西園寺の内大臣殿、「あな尊の気色や」とて、信仰の気色ありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候」と申されけり。後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて、「この気色尊く見えて候」とて、内府へまゐらせられたりけるとぞ。

西大寺:奈良の西大寺。南都七大寺の一つ。
資朝卿:藤原資朝。後醍醐天皇の信任が厚く、北条氏征伐の企画に加わって、捕らえられ、一三三二年、佐渡で斬られた。
内府:内大臣の唐名。

「西大寺の静然上人は、腰が曲り、眉が白く、誠に徳が備わっている様子で、内裏へ参上なさったのを、西園寺の内大臣殿が、『ああ、尊いご様子だなあ。』と言って、信仰心を深めたように見えたところ、資朝卿これを見て、『ただ年をとっているのでございます。』と申し上げなさった。数日後、むく犬で呆れるほど老いさらばえて、毛の禿げているのを引かせて、『この様子は尊く見えることでございます。』と言って、内大臣のもとへ差し上げられたということだ。」

西園寺の内大臣は年取った西大寺の静然上人を見て信仰心を深めた。それを資朝は、年を取り老いさらばえることが尊いなら、犬も同様だと当てこする。西園寺の内大臣は、常識的な見方に囚われ、お決まりの反応をしている。つまり、西園寺の内大臣の中には、《年寄る=尊い》という公式ができあがって、それに沿って心を動かしているのであって、本心から感動している訳ではない。資朝卿は、その態度を批判している。
では、内大臣はこの皮肉によって考えを変えただろうか。もしこれで、西大寺の静然上人への見方が変わってしまったなら、感度も信仰心もその程度のものであって、本心からのものではないことが証明される。それについては書かれていないけれど、内大臣は少なからず、資朝の批判に心が動かされたことが想像される。
人は感動にせよ信仰にせよ、本心からのものではなく、紋切り型の見方、既成の「公式」によってすることがある。個人的な思いであるべき感情までも世間の見方の影響を受けているからである。すなわち、この場合はこう思うものだとお決まりの反応をするのだ。たとえば、卒業式では泣くものだとか、赤ちゃんを見れば「可愛い!」と声を上げるものだとか。しかし、それは本心からものだろうか。生の感情だろうか。人はもっと自分の感情に素直に向き合うべきである。本心に嘘をついてはいけない。それでは、自分が生きていることにならない。
なるほど、資朝卿のやり方は極端である。しかし、このくらいしなければ、人はその愚に気づかないのも確かだ。兼好はこのエピソードを語るだけで、何のコメントも加えていない。自分の姿勢を明らかにしないのは、卑怯と言えば卑怯だ。しかし、ここは言わずもがなだからだろう。兼好は明らかに資朝卿に賛同している。反対の姿勢はどこにも見えない。資朝卿の批判は、兼好の批判である。

コメント

  1. すいわ より:

    上人、内裏へ参内した時、必要以上に着飾っていたのでしょう。年寄りでも静然上人がボロを纏って歩いていたら、きっとその場から追い出しているのでは?兼好の批判したい所ですね。
    資朝卿のやり方は極端ではあるけれど、「年のよりたるに候」の後に西園寺の取り巻き辺りに色々と揶揄されたのではと思いました。
    兎角、人は見た目に騙されがちなのは昔も今も変わらないです。適当な絵を立派な額縁に入れてピカソの名札を付けたら、さて、何人の人が違和感を覚えるか?名札を外してもそれが良いと思うのなら、その人にとっては「良い絵」なのでそれはそれで構わないのだけれど。その絵が好きだと思えるだけ、しっかり観ないと判断は出来ません。

    • 山川 信一 より:

      資朝(すけとも)卿の批判には一理あります。我々の多くは、既成に価値観に囚われた物の見方をし、何より個性的であるはずの感情さえも周りに合わせようとします。年寄りに敬意をはらうことは大切ですが、こうした形ばかりのものでは意味がありません。我々はもっと自分の生の感情に正直にありたいものです。そこにこそ、芸術の存在理由もあります。

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