《無いものを詠む》

さふらひにてをのことものさけたうへけるに、めして郭公まつうたよめとありけれはよめる  みつね

ほとときすこゑもきこえすやまひこはほかになくねをこたへやはせぬ (161)

郭公声も聞こえず山彦は外に鳴く音を応へやはせぬ

「控えの間で殿上人たちが酒を飲んでいた時に、私を呼んで郭公を待つ歌を詠めとあったので詠んだ  凡河内躬恒
郭公は声も聞こえない。山彦は、余所で鳴いている郭公の声をここに反響させないか、反響させてもいいのに。」

「聞こえず」で切れる。「応へやはせぬ」の「や」も「は」も係助詞で、反語を表す。係り結びとして働いて、「ぬ」に掛かる。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「せぬ」の「せ」は、サ変動詞「す」の未然形。
まず「郭公」と提示している。「声も」だから、姿も見えない。しかし、ここでは無いどこかで鳴いているに違いない。ここで、「山彦」を連想する。「山彦」と「郭公」の鳴き声には、親和性がある。あちらで鳴きこちらで鳴く郭公は、まるで「山彦」のようだからだ。そして、当然「山彦」は、鳴き声を反響させるはずだと考える。ならば、そこ反響をここにさせることもできるわけで、なぜそうしないのかと不満を述べる。
夏の夜、男たちが酒を飲んでいる。夏の夜は、暑苦しく情趣に欠ける。何か物足りない。そこで、男たちは躬恒を招いて歌を詠ませる。すると、躬恒は、存在していない「郭公」と「山彦」を題材にして、物足りない男たちの今の気分を詠んだ。夏の夜には「郭公」は欠くことができないものなのだ。それが無いのはなんとも物足りない。この歌は、存在しない物も題材にできることを示している。
また、自分を「山彦」になぞらえて、「私は、あなたがたのために山彦となって、余所で鳴いている郭公の声をここに反響させましたよ。」とも言っている。

コメント

  1. すいわ より:

    鬱陶しい夏の夜、せめて郭公の声でも聞こえれば少しの慰めになろうものをそれすら聞こえない。そこで躬恒を呼び寄せて郭公を心待ちにしている歌を所望、躬恒に歌わせた(鳴かせた)のですね。
    ここにいない郭公の声を姿形の無いものの力を借りて再現させようとするとは!
    さぁ、歌った(鳴いた)のだからご列席の皆様(山彦)はどう響き返してくださるか?ご褒美の杯くらい賜れたでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      すいわさんのコメントを読み、解釈を少し変えました。ご覧ください。むしろ、「山彦」が作者かも知れません。なぜなら、いないはずの郭公をここに出現させたのですから。
      その上で、「山彦」は「ご列席の皆様」にたとえを変えるのでしょう。「どう響き返してくださるか?ご褒美の杯くらい賜れたでしょうか。」に繋がります。

  2. すいわ より:

    なるほど、本人が郭公として鳴くのでなく、伝達者として鳴き声を届ける「山彦」の役割を果たしたのですね。そして声を届けられた側は更にどう「山彦」として応えてくれるか。夏の夜の余興、知的で贅沢ですね。

    • 山川 信一 より:

      作者を「山彦」と捉える方がスッキリします。すいわさんコメントを読んで思い直しました。ありがとうございました。
      平安貴族の知的遊戯ですね。本当に恐れ入ります。

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