第百四十六段   目の付け所

 明雲座主、相者にあひ給ひて、「おのれ、もし兵杖の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「誠にその相おはします」と申す。「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害のおそれおはしますまじき御身にて、かりにも、かく思し寄りて尋ね給ふ、これ既に、その危ぶみのきざしなり」と申しけり。はたして、矢にあたりて失せ給ひにけり。

明雲座主:天台宗比叡山延暦寺の座主。

「明雲座主が人相見にお向かいになって、『自分は、もしかして武器によって被害を受ける相があるか。』とお尋ねになったところ、人相見は、『本当にその相がございます。』と申しあげる。『それはどういう運命か。』とお尋ねになったところ、『傷害の恐れがお有りになるはずがない御境遇にある御身でありながら、かりそめにも、このように思いつかれてお尋ねになる、これが既にその危険の兆しです。』と申しあげた。予想通り、矢に当たってお亡くなりになってしまった。」

人相見が注目したのは、人相そのものではなく、明雲座主の相談内容だった。それは、明雲座主の地位からすれば、およそ似つかわしくないものだった。人相見は、そこに違和感を持った。そこで、この相談内容自体が明雲座主自身の運命を言い当てていると判断したのである。
予想が当たる人相見は、目の付け所が違う。なるほどそういう見方もできるのかと、納得させられる。当たるのは、自分のことは自分が一番わかっているからか、あるいは、相談とは、結論が出ていることを確かめるためにするものだからか。いずれにせよ、内面が顔に出やすいことは確かだ。人相見は、それを読むのだろう。案外経験科学なのかも知れない。

コメント

  1. すいわ より:

    前回とは対照的に対象を冷静に観察しての進言。膨大な資料の統計分析によって傾向を掴む心理学に似ています。闇雲に当たり外れの話ではない。
    「相談」も結果ありきで自分の決定を一度外へ出して、あと一歩誰かの力を借りて+1する事で自分だけの考えではないと自分を納得させる方法として使われる事、あります。だから反対意見を言われたところで決定が覆ることはまずない。明雲座主はアドバイスを聞かなかったのですね。聞くつもりもなかったのでしょう。「専門家」のアドバイスは参考にはなるけれど、最終的にどうするか決めるのはあくまでも「自分」なのですよね。

    • 山川 信一 より:

      同じ題材を使って、主旨を変えています。さりげなく書いているように見えて、かなり作り込まれています。前の段とセットなのですね。
      コロナには、本当の専門家はいません。専門家ぶった人は沢山いますが・・・。なぜなら、誰にとっても初めての経験だからです。尚更、「最終的にどうするか決めるのはあくまでも「自分」」になりますね。

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