《声からわかる》

題しらす よみ人しらす

こそのなつなきふるしてしほとときすそれかあらぬかこゑのかはらぬ (159)

去年の夏鳴き古るしてし郭公それかあらぬか声の変はらぬ

「去年の夏ずっと鳴き続け聞き慣れてしまった郭公。その郭公なのか、別な郭公なのか、声は変わらないことよ。」

「鳴き古るしてし」の「て」は完了の助動詞「つ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、「郭公」に掛かる。「郭公」で切れる。ここで、「郭公」を提示している。次にそれを受けて、「それかあらぬか」という作者の思いを挿入している。ここでまた軽く切れる。「変はらぬ」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。連体形止めによって、詠嘆の余情を示す。
鳥は、普通、容易には見分けがつかない。今鳴いている郭公は、昨年の郭公なのだろうか。見た目からは判断できない。しかし、手掛かりはある。あの声は、昨年聞き慣れた声だ。忘れるはずがない。それと少しも変わらない。間違いなくその声だ。ならば、あれは昨年馴染みになった郭公に違いない。
このように言うことで、その鳴き声を覚えてしまうほど鳴き続ける郭公の習性を表している。

コメント

  1. すいわ より:

    夏ーー郭公の声が聞こえる。あぁ、今年も夏がやって来たのだ。この声を聞くと昨年の夏を思い出す。いや待て、この郭公、もしやあの夏の日の郭公ではあるまいか?あんなに日毎聞き慣れていたのだ、聞き紛うはずがない。目を瞑り全身でその声に耳を傾ける。忘れもしない、あの日の様子が瞼の裏に投影されるーー

    目を閉じずとも郭公の声は聞こえるのに。あなたは去年の夏に思いを馳せるのね。さて、この夏、郭公の鳴き声と共にどんな物語を焼き付けるのでしょうね、、、

    • 山川 信一 より:

      郭公への思いの裏には、きっとこんな恋が潜んでいるのでしょう。読み手にそれを暗示させ、それによって郭公を描く。手が込んでいますね。

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