《夏の東雲》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた きのつらゆき

なつのよのふすかとすれはほとときすなくひとこゑにあくるしののめ (156)

夏の夜の臥すかとすれば郭公鳴く一声に明くる東雲

「夏の夜の、横になったかと思うと、郭公が鳴く一声によって明ける夜明け方。」

「夏の夜の」「臥すかとすれば」「郭公鳴く一声に」は、それぞれ「明くる」に掛かる。そして、「明くる」は「東雲」に掛かる。すべての語句が「東雲」に収束していく。多くの情報を簡潔に整理して、語句をまとめる構成に創意工夫が見られる。
東雲は、東の空に明るさがわずかに動く頃である。その印象を詠んでいる。夏の夜は短い。横になったかと思うと直ぐに明けてしまうほどだ。一般に朝はまず鳥が目覚め鳴き始めるものだが、夏の夜は郭公の鋭い一声によって明けるのである。

コメント

  1. すいわ より:

    「夏の夜の」の「の」がよくわからなかったのですが、「明くる」に掛かっていくのですね。
    寝苦しい夏の夜。「やれやれ、それでももう仕方がない、横になるとするか」と、郭公の声が闇を破ってもう朝の気配が近付いているーー「夏の夜」と夜の歌かと思いきや、朝の目覚めの印象が強い歌。小鳥の囀りでぼんやりと目覚めるのでなく、きっぱりと鮮烈な郭公の声が夜と朝を一瞬でスイッチ。眠れぬ夜の重い気分が払われて明るい画面。でもきっと、寝不足ですね、、

    • 山川 信一 より:

      夏の短夜の東雲とは、こんな朝なのでしょう。誰でもが共感できる季節感を捉えています。
      隙のない表現が印象的です。

タイトルとURLをコピーしました