くすし篤成、故法皇の御前にさぶらひて、供御の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じあはせられ侍れかし。ひとつも申しあやまり侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、しほといふ文字は、いづれの辺にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候」と申したりければ、「才のほど既にあらはれにたり。いまはさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、どよみになりて、まかり出でにけり。
故法皇:後宇多法皇。
本草:薬用の植物・動物・鉱物に関する中国の書物。
六条故内府:源有房内大臣。法皇の信任があつかった。
「医師の篤成が、故法皇の御前にございまして、御膳が参りました時に、「今参りました御膳色々の品を、法皇様が文字も功能も尋ね下いまして、私がそらに申しますなら、本草に照らし合わせてくださいませ。一つも間違って申し上げないでしょう。」と申し上げた、丁度その時、六条故内府が参内なさって、「有房この機会に一つ物を習いましょう。」と言って、「まず、しほという文字は、いづれの辺にございましょう。」とお尋ねになったところ、「土偏でございます。」と申し上げたので、「学問の程度がそれだけで表れてしまった。もうそれだけでやめておきなさい。知りたいことは無い。」と申されたので、大騒ぎになって、篤成は退出してしまった。」
医師の篤成は、自分の学識を見せて、法皇の信任とそれによる名誉を得ようとした。それを六条故内府は快く思わず、その鼻っ柱を折ってやろうとして、見事にやり込めた話である。
では、なぜ「土偏に候」という答えではまずいのか。「塩」という文字は「土偏」である。しかし、「しほ」には、「鹽」という文字もある。それを答えなかったからだろうか。しかし、この「鹽」という文字には、偏が無い。「しほ」の偏を問われれば、「土偏」と答えるしかない。ならば、これは、単なる引っかけ問題になる。しかし、それで篤成の学識の無さを指摘できようか。本人もひっかっけられたとは思っても、やられたとは思うまい。プライドは傷つかない。逆に、六条故内府の卑劣さを非難することさえ出来る。したがって、自らの学識の無さを認めてすごすごと退出するはずがない。では、篤成はなぜ自分の至らなさを認めたのか。
これは、実際に六条故内府の質問にまともに答えれなかったからである。「まづ、しほといふ文字は、いづれの辺にか侍らん」は、漢字の偏を聞いたのではない。「しほ」という文字が本草のどの篇に分類されているのかを聞いたのである。つまり、本草では「しほ」はどう扱われているのかを尋ねたのである。篤成には、六条故内府の意図が正しく伝わった。ところが、篤成はとっさにそれに答えることがが出来なかった。そこで、「土偏」と答えて誤魔化したのである。だから、六条故内府の「才のほど既にあらはれにたり。いまはさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」という指摘を認めざるを得なかったのだ。
六条故内府は、「まづ」と言っているように、ここから責め立てようとしたのだろう。「しほといふ文字は、いづれの辺にか侍らん」にも、陥れようという作為が感じられる。塩の効能というようなありふれたものの方がむしろ難しいのだ。それを知ってわざと問うている。ところが、篤成はその入り口でつまづいてしまった。「才のほど既にあらはれにたり。いまはさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と言うのは、本音だろう。敵としてあまりにあっけなく、拍子抜けしてしまったのだ。六条故内府のしたたかさが際立つ。篤成との力の差は歴然としている。
ただ周りの人々には、とっさにそこまでの真意はわからない。だから、「なんだ、なんだ、どういことだ。」と大騒ぎになったのである。この話を載せた兼好は、私にはここまでわかっていると言いたいのだ。そして、読者にも「おわかりかな?」と挑戦している。もちろん、一方で、自信過剰は災いの基であり、何でも答えられるなどと自惚れてはいけない。それは相手に隙を与えることだとも言いたいのだろうけど。
コメント
百三十五段の資季と具氏の論争とあまりにも様相が異なりますね。どこが違うのか。「知恵比べ」なんて可愛いものでなく、篤成の欲がらみの学識披瀝を快く思わない六条故内府の、こちらもなんとしても貶めてやろうという策略、「欲と悪意」だからなのでしょう。
「塩」の効能を問うのになぜ「もじは、」と聞くのだろうと思いましたが、なるほど。
六条故内府の問い掛けは、「しほという文字は、本草のどの辺りにでていますか?どの篇でしょうか?」という意味でしょう。たぶん、引っかけにもなっていますね。
塩の篇など聞くはずがないのですから、篤成はそう解釈すべきでした。それができないとしたら、その学識は知れたものでしょう。六条故内府の言うとおりです。実際そうだったのかも知れません。しまったと気づいたのは、六条故内府にそう言われてからかも知れませんね。