第百三十二段  故実考証

 鳥羽の作り道は、鳥羽殿建てられて後の号(な)にはあらず。昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の声、甚だ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王(りほうおう)の記に侍るとかや。

鳥羽殿:白河天皇が造られ、鳥羽天皇が改修された御所。
元良親王:陽成天皇の第一皇子。
大極殿:大内裏にある正殿。
李部王:醍醐天皇の皇子、重明親王。

「鳥羽の作道は、鳥羽殿をお建てになった後の名ではない。昔からの名である。元良親王は元日の奏賀の声が非常に素晴らしくて、大極殿から鳥羽の作道まで聞えたということが、李部王の日記にございますとかいうことです。」

いかにも兼好らしい故実考証である。物事の正しい由来をはっきりさせたいのだろう。そして、物事の由来を考えることない人々の姿勢を批判しているのだろう。しかし、それにしては「侍るとかや」は根拠として曖昧で無責任である。しかも、内容が事実として信じるに当たらない。一体、内裏の中で発せられた声がどれほど遠くまで届くか。常識的に考えて、外部の道まで届くとは考えられない。たとえ、李部王の日記にそう書いてあったとしても、これは、元良親王の奏賀の声の素晴らしさを讃える誇張表現であろう。これでは牽強付会である。兼好には、なぜこんなあやふやなことを書いたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    鵜呑みにするな、という事を言いたいのでしょうか?
    鳥羽と名がついているからと言って、鳥羽殿に合わせて後から造られ名付けられた道というわけではない、と。またそこから連想して鳥羽作道まで届いたという元良親王の声、いくら美声であったからと言って本当に大極殿から届くはずもなく、そう言われる意味を考えろ、という事なのか?何が言いたいのか今ひとつ掴み切れません。自分で確かめたわけでもなく人の日記に記された事が真実とは限らない、表記されたものが一人歩きしていることがある、という事なのか、、。

    • 山川 信一 より:

      チコちゃんに叱られても、普通人は物事の由来などきにしないで、ボーッと生きています。それで問題がないからです。まして、作道の名など、気にして何になるのでしょう?
      自分のトリビアを誇っているのでしょうか?価値観の違いを感じます。

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