《はやる思い》

題しらす よみ人しらす

さつきまつやまほとときすうちはふきいまもなかなむこそのふるこゑ (137)

五月待つ山郭公うち羽振き今も鳴かなむ去年の古る声

「五月を待つ山郭公よ。羽を打ち振って、今でも鳴いて欲しい。去年の古い声で。」

「山郭公」で切れる。「山郭公」に呼びかけている。「うち羽振き」の「うち」は接頭辞。動詞について、語の調子を整える。「鳴かなむ」の「なむ」は願望の終助詞。「・・・ほしい」の意。ここで切れて、以下は倒置になっている。
「五月待つ」とあるから、今はまだ四月である。郭公は、五月にならないと鳴けないので、鳴ける五月を待っているのである。同時に、「待つ」は、五月を待つ作者のはやる思いも暗示している。「うち羽振き」とあるから、しっかりその姿を確認したいのである。「去年の古る声」とあるのは、去年の鳴き声を懐かしく思っていることを表している。
夏と言えば、何と言っても郭公である。少しでも早くその姿を見、その声を聞きたいと思う。しかし、実際には、その姿は見ていないし、その声は聞こえてこない。ただ、それでも作者には、郭公の姿も声もまさにそこにいるかのように感じられる。その思いを過不足なく見事に表現している。
ホトホギスには、実に様々な名称・表記がある。郭公、時鳥、子規、杜鵑、不如帰、鵊など。また、「死出の田長」とも呼ばれた。冥土に通う鳥と信じられていた。人々の関心のほどを示している。

コメント

  1. すいわ より:

    「夏」になるのを準備万端整えているホトトギス、暦が変わらなくてもその声の美しさは実証済み。だって昨夏の声、覚えているからね。「待つ」と言いながら、その羽ばたく姿を思い描き「今もなかなむ」、待てないのですね。ホトトギスや鶯はその声の印象があまりに強くて、その姿を正しく思い描けない鳥の代表ではないでしょうか。その鳥の羽ばたく姿を詠むあたり、「早く飛んできて夏を告げて欲しい」思いの強さを感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      「うち羽振き」は、ホトトギスへの思いの強さがいかに強いかを表していますね。読み手には、その姿が映像としてありありと見えてきます。

  2. らん より:

    ほととぎすって変換したらいっぱい出てきました。子規もなんですね。知らなかった。
    去年の古い声が懐かしいんですね。
    同じ声が聴きたいのですね。
    待ち遠しい気持ちが伝わってきました。

    • 山川 信一 より:

      名前が沢山あると言うことは、関心の強さを表していると共に、対象を一つに絞りきれないこと、捉えきれないことを表しています。どこまでも不思議な鳥なのでしょう。
      「去年の古る声」と言うことで、それを懐かしんでいる思いが感じられますね。

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