第百二十四段  理想的な人物

 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠を立てず、ただ明暮念仏して、やすらかに世を過ぐすありさま、いとあらまほし。

是法法師:兼好と同時代の人で、勅撰集にその歌がある。
学匠:仏道を修めて師匠の資格を持つ者。

「是法法師は、浄土宗に於いて人に劣らないけれど、学問の師匠の立場に立たず、ただ明け暮れ念仏を唱えて、心安らかに世を過ごす様子は、まことに望ましい。」

前々段、前段の生き方を実現した人物の具体例として、是法法師を挙げている。是法法師は、浄土宗に通じていたのに、学匠の立場に就かず、ひたすら修行に努めた。つまり、実力はありながら、名誉は求めなかった。必要最小限度の衣食住医で満足し、それ以外の贅沢をせず、心のどかに暮らした。それで、八十歳以上生きた。まさに理想的な生き方をした人物である。読者もよく知る同時代の人物を挙げることで、自分の論が空理空論ではないことを実証し、説得力を持たせようとしたのである。

コメント

  1. すいわ より:

    権威としてその能力を利用するのではなく、ただひたすらに一修行者の立場を貫き通し、弛まぬ努力を続けた人が現実にいた事を例示されると頷かざるを得なくなります。易きに流れる法師達、言い逃れが出来ません。ストイックさは本来自分に向けるもので、他者に要求するものではないでしょう。でも、ここまで明確に、例示までして兼好が書き置かなくてはならない事を考えると、余程、法師達の堕落ぶりは目に余るものだったのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      昔の聖人より同時代に生きている人の方が遥かに説得力がありますね。言葉は、使われている状況が意味を決めます。状況を抜きにして、意味は決められません。だから、逆に、言葉から状況がある程度想像されます。

タイトルとURLをコピーしました