古今集 巻三:夏 《夏の訪れ》

題しらす  よみ人しらす(このうた、ある人のいはく、かきのもとの人まろかなり)

わかやとのいけのふちなみさきにけりやまほとときすいつかきなかむ (135)

我が宿の池の藤波さきにけり山郭公いつか来鳴かむ

「我が家の池の藤の花が咲いたことだなあ。山のホトトギスがいつ来て鳴くのだろうか。」

「藤波」は、藤の花房がなびいて動く様を波に見立てている。「池」の縁語になっている。「さきにけり」で切れる。「さき」は、「波が高く立つ。波頭が白く砕ける。」の意の「さき」と「咲き」を掛けている。波立つように咲いているという意。藤の花房の様子を強く印象づけている。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形で、始まりを表す。「けり」は、そのことに気づき感動したことを表す。「山郭公」は、まだ山で鳴いているホトトギス。ホトトギスは、盛夏になると里に下りてくる。「ホトトギ」は鳴き声を模したもの。「す」は鳥を表す接尾辞。「いつか来鳴かむ」の「か」は係助詞で、係り結びになっている。疑問を表す。「早く来て鳴いて欲しい。」という気持ちを表している。
池の辺りに藤の花が咲いている。薄紫と白が混じり合っている。折からのそよ風に、池からの連想であろうか、まるで波が立つかのよう見える。その様子は、いかにも初夏にふさわしく清々しい。辺りは、よい香りに包まれている。我が家にもいよいよ夏が訪れたと思う。ただ、こうして視覚、嗅覚が満たされると、欲が出るもので、今度はホトトギスの声が聞きたくなる。
ここから夏の歌になる。藤の花とホトトギスを題材にした歌を夏の歌の巻頭に据えている。藤は春の花であるけれど、本格的に咲くのは夏である。人は、その色彩の鮮やかさ、香りの豊かさに夏の訪れを感じる。そして、それに満足しつつその一方で、ある種の物足りなさも覚える。夏を代表する鳥、ホトトギスが鳴かないからである。この歌は、こうした初夏に於ける季節感を見事に表している。

コメント

  1. すいわ より:

    初夏の風に揺れる藤の花、白と薄紫のグラデーションがよりムーブメントを感じさせます。池にもその様は映り込み景色が漣とともに広がっていきます。手招きする花房にホトトギスも誘われてほとりで鳴き始めて欲しい。
    視線が近いところから遠くへ移っていくように描かれているのに季節がどんどん近付いて来るように感じられるのが不思議です。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、この歌は夏の広がりを表現していますね。宿、池、藤、波、山、(風)、(香)、(声)と広がりを感じさせます。初夏の開放感が伝わってきます。

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