第百二十段   舶来主義への批判

 唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。書どもは、この国に多くひろまりぬれば、書きても写してん。唐土船のたやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭(せ)く渡しもて来る、いと愚かなり。「遠き物を宝とせず」とも、又、「得がたき貨を貴まず」とも、文に侍るとかや。

「中国ものは、薬以外は、無くても不自由はあるまい。中国の書物などは、この国に多く広まってしまったので、書き写してしまえるだろう。中国の船が容易でない危険な航路を通って、無用の物ばかり取り積んで、いっぱい運んで海を渡って来るのは、たいそう愚かである。『遠いところの物を宝としない。』とも、又、『手に入りにくい品物を尊ばない。』とも、書物にも書いてあるということでございます。」

中国の珍しいものを尊ぶ傾向を戒めている。国産品を大切にしろと言いたいのだろう。当時の中国は、日本より文明が発達していた。文明は高い方から低い方に流れるものだ。そして、舶来の物を尊ぶ傾向はその後長らく欧米に移る。しかし、それも現在に至ってようやく収まった感がある。現在はメイドインジャパンこそブランドになっている。ただし、これはまだ物に限られている。学問や思想になると、今でも欧米のものを有り難がる傾向がある。「欧米では・・・」と語る、所謂「出羽の守」がそこここにいる。そう思うと、兼好の言う「文に侍るとかや」にもその傾向が見られる。語るに落ちたと言うべきか。権威主義者が権威に縋ろうとする傾向を脱することは難しい。

コメント

  1. すいわ より:

    薬は評価しているのですね、兼好、やはり病気がちだったのか?
    不要なものを箔を付ける為に舶来だからという理由で(贅沢品なのでしょうね)危険を冒してまで手に入れようとするのは確かに愚かだと思います。
    「文に侍るとかや」、語るに落ちる、と読み手に言わせたかったようにも。いずれにしても、本当に価値あるものを見抜き選ぶ力を培いたいもの。今回、外国産を槍玉に上げていますが、「国産」を過信するのも考えもの。

    • 山川 信一 より:

      兼好は漢方薬の効用を認めているのでしょう。つまり、意味のある物は認める。ただ、単に珍しいとか外国の物であるとかで有り難がるべきではないと言っているのです。
      その意味で、翆和さんのご意見「本当に価値あるものを見抜き選ぶ力を培いたいもの。」と重なりますね。

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