寛平御時きさいの宮の歌合のうた つらゆき
ふくかせとたにのみつとしなかりせはみやまかくれのはなをみましや (118)
吹く風と谷の水とし無かりせば深山隠れの花を見ましや
「もし吹く風と谷川の水が無かったら、山奥に隠れて人目につかない桜を見ることができるだろうか。」
「せば・・・まし」で、反実仮想の意を表す。「もし・・・だったら、・・・だろう」。「水とし」の「し」は強意の副助詞。「や」は、終助詞で反語を表す。
深山の桜を見に出かけてきた。しかし、山が深くて、その姿はどこにも見えない。すると、谷川に何か流れてきたものがある。よく見ると、わずかであるが、それは確かに桜の花びらである。吹く風が散らし、谷川の水が流したものだ。深山にあって、目を奪うほどの際立つ白さである。直接は見ることができない満開の桜が目に浮かんできた。それはそれで、なんとも味わいのある美しい桜であった。山奥に隠れて咲く桜は、こんなふうにして「見る」のだ。美は想像力の産物である。
歌合の歌だけあって、展覧会の絵のように印象の強い歌になっている。
コメント
桜を吹き散らす風、行手を阻む谷川。山深いところに咲くであろう山桜を見られない二つの要素。
ただひとひら、水の流れに浮かぶ花びら、あっと言う間に行き過ぎてしまったでしょうに、それを見逃さない。その一瞬をもたらした風と水があればこそ、深山の桜を思い描けた、という逆転の発想。参りました。
なるほど、風と谷川は、深山の桜の観賞を阻むものですね。それを逆手に取った逆転の発想。納得が行きました。さすが貫之です。
ちらっとしか見えないものって想像が膨らみますよね。
キリッと白く美しい花びらをみて、どんなに素晴らしい桜がらさいてることかと、私も見てみたい気持ちが大きくなりました。
深山の桜はさぞかしきれいなんだろうな。
桜の花を散らせる憎らしい風も、行く手を阻む煩わしい谷川も、一つくらいいいことをしてくれる。花びらを流してくれたお陰で、咲いている花を想像することができたよ。こんな感じですね。