第百三段  忠守が怒った理由

 大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせらけにけるを、「からへいじ」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちて退(まか)り出でにけり。

大覚寺殿:後宇多上皇の御所。
医師忠守:丹波忠守。中国からの渡来人の子孫。
侍従大納言:侍従で大納言を兼ねる。

「大覚寺殿で、上皇のお側付きの者たちが、なぞなぞを作って解いておいでのところへ、医師の忠守が参上したところ、侍従大納言の公明卿が『日本の国の者とも見えない忠守だなあ。』と、なぞなぞになさってしまったのを、『唐瓶子』と解いて、皆でお笑いになったので、忠守は腹を立てて退出してしまった。」

この段は、貴族たちのなぞなぞ遊びの話である。このなぞなぞは、「何と掛けて何と解く」という、今で言う謎掛けである。そのエピソードが語られている。そして、同時に、この段自体が「忠守がなぜ腹を立てて退出したのか?」という「なぞなぞ」になっている。では、それを解いてみよう。
公明卿は「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」をなぞなぞにする。すると、誰かが「唐瓶子」と解く。この答えの理由は、『平家物語』の中にある。
『平家物語』に忠守と同じ名の平忠盛が出て来る。平忠盛は、「伊勢平氏(瓶子)」と言われた。その理由は次の通りである。
・忠盛が平氏であること。
・「瓶子」は、酢を入れる瓶、すなわち「酢瓶」で、伊勢で産出されたこと。
・「酢瓶」と同音の「眇」は、斜視などの目を意味し、平忠盛が「眇」であったこと。
以上の理由で、平忠盛は「伊勢平氏(瓶子)」とからかわれたのである。そして、以上を踏まえて、今度は忠守を次の理由でからかうことになる。
・忠守は平忠盛と同音の名であったこと。
・忠守は中国(唐)からの渡来人の子孫だったこと。
つまり、平忠盛が「伊勢瓶子」なら、忠守は「唐瓶子」だと言うのである。恐らく忠守も「眇」だったのだろう。容姿を笑われては、腹を立てるのも当然である。ただし、からかう方もからかわれる方もそれなりの教養がなくてはこうはいかない。兼好は、教養人のイジリを面白がっているのである。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど、からかう側はもちろん、言われて意味が分かるからこそ腹を立てる訳で、双方教養の高さを感じます。瓶子というと内裏雛の間に置かれる三宝の上に置かれたお酒の瓶を思い浮かべましたが、酢瓶=眇(すがめる)=斜視、だったのですね。日宋貿易で富を得た平忠盛と掛けるところがまた意味深ですね。

    • 山川 信一 より:

      兼好の謎掛けに読者の教養も試されているようです。「日宋貿易」を連想するほどならば、兼好に気に入って貰えますね。

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