第百段   久我相国を讃える

 久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

久我相国:源通光。一二四八年没。
主殿司(とのもりづかさ):後宮十二司の一つ。
土器(かはらけ):素焼きの杯。
まがり:水を飲むための器。椀。

「久我の太政大臣は、殿上の間で水をお飲みになった時に、主殿司の女官が素焼きの杯を差し上げたところ、『まがりを持って参れ。』と言って、まがりでお飲みになった。」

この段も前段と同様に「けり」が使われているので、伝聞した話である。ただし、書き手は、それを事実であると認めている。
久我の太政大臣が殿上の間で水を飲む時に、土器ではなく、まがりで飲んだという話である。ただし、その理由までは書いていない。しかし、わざわざ土器を断ってまでまがりで飲んだのである。しかも、同じ太政大臣の話として、前段に続けて書いているのだから、前段とは対照的な話であるはずだ。ならば、理由は明らかである。これが殿上の間に於ける水の、故実に則った由緒正しい飲み方なのだ。久我の太政大臣は、故実を心得ていた。これは、どうでもいい、つまらないこだわりとも言える。しかし、兼好は、こういう細やかな気配りができることにこそ、その人の素養や性格が表れると言いたいのだろう。こうして、久我の太政大臣を讃えている。久我の太政大臣は、前段の堀川の太政大臣より前の時代に生きた人である。時代が下ると、故実が蔑ろにされるとも言いたいのだろう。兼好自身の人となりも伝わってくる。

コメント

  1. すいわ より:

    故実へのこだわりの強さ、ぶれませんね。本文を見ても現代人には理解しづらいです。由緒正しき水の飲み方、現代には伝わっているのでしょうか。確かに形式美というものはありますけれど、主人に恥をかかせたと官女はお叱り受けたのでしょうね。
    先生、今年も一年間、素晴らしい講義を有難うございました。

    • 山川 信一 より:

      故実は、誰がどのような意図で始めたのでしょう。もはやその訳もわからずに形だけが踏襲されていきます。それに拘るのは、権威や秩序を守るためでしょう。だとしたら、にわかに賛成できません。
      こちらこそ、ありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました