《遠足気分》

題しらす よみ人しらす

こまなめていさみにゆかむふるさとはゆきとのみこそはなはちるらめ (111)

駒並めていざ見に行かむ古里は雪とのみこそ花は散るらめ

「馬を並べて、さあ見に行こう。古里は今頃雪とばかりに花は散っているだろうが・・・。」

二句切れである。「ゆかむ」で切れる。「む」は未確定を表す助動詞。ここでは意志・勧誘を意味する。「こそ」は、係助詞で強調を表し、係り結びで文末を已然形にする。次の文に逆接で続く。「らめ」は、現在推量の助動詞の已然形。
仲間に向かい、「さあ、一緒に馬に乗って古都に花見に行こうではないか。」と呼びかけ、誘っている。古里は、古都奈良だろうか。吉野は桜の名所だ。ただし、時節が遅かったため、もう満開の桜を見ることは期待できない。桜は雪と見紛うばかりに散っていると思われる。しかし、それはそれで美しいではないか。出かける価値はある。行こうではないか。そんな気持ちを表している。
気心の知れた友と遠出をする時の高揚した気分が感じられる。花見は、共に見る仲間がいてこそのものである。いや、むしろ、逆に、友情に味付けするスパイスなのかも知れない。
「題しらす よみ人しらす」は、特定の個人や特殊な場面に限定されない、万人に共通する思いを表している。現代人でさえ、誰にも、春には仲間と花見に遠出したい気分があるではないか。

コメント

  1. すいわ より:

    心が浮き立ちますね。時期が過ぎて散る桜を見るのは淋しく感じられそうですが、皆で名残の春を満喫する。さぁ、と読み手も誘われているようで、私も!と手をあげてしまいます。

    • 山川 信一 より:

      歌には、モノローグ型とダイヤローグ型があります。現代の短歌は、モノローグ型が多い気がします。それに対して、平安時代の歌は基本的にダイヤローグ型です。
      その中でも、この歌は読者にも呼びかけているようですね。私も心が浮き立ちます。

  2. らん より:

    ほんと、心浮き立つ歌ですね。
    散り際の桜であっても、仲間と一緒なら楽しい。むしろ、桜吹雪、素敵じゃないですか。
    私もウキウキしてきちゃいました。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。来年は、仲間と連れ添ってお花見に行けるといいですね。
      この歌は、それができなかった今だから、一層心に響くのでしょう。

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