《女性らしい歌》

題しらす  典侍洽子朝臣(ないしのすけあまねいこあそん)

ちるはなのなくにしとまるものならはわれうくひすにおとらましやは (107)

散る花の泣くにし止まるものならば我鶯に劣らざらましやは

典侍:「内侍(ないし)の司(つかさ)」の女官で、その次官。
朝臣:四位・五位の人の名の下につける語。名字朝臣。

「散る花が泣くことで留まるなどいうことが仮にあるならば、私は鶯に負けていようか、負けてはいない。」

「泣くにし」の「し」は強意の副助詞。「まし」は反実仮想の助動詞。「やは」は、終助詞で反語を表す。
桜が次から次へと散っている。それを惜しんで、鶯が盛んに鳴い(泣い)ている。いくら泣いたって、桜は散らずにいるはずがないのに。もしそんなことがあり得るのなら、私は鶯に負けずに泣き立てるだろう。私は泣いていないけれど、散る花を惜しむ思いは、鶯に負けることはない。こう言っている。
この歌も、散る花を惜しむ思いを鶯との関わりで表している。散る花に対して、平然としていることを誰かに指摘され、それに反論しているのだろう。「あなたにはそう見えるかも知れませんが、そんなことはございません。」と。泣くという行為で、女性らしさを打ち出している。しかも、そこには「女が泣くことで止むことなどこの世にありませんのよ。」という思いが見え隠れしている。

コメント

  1. らん より:

    鶯と桜の歌ってこんなにたくさんあるんですね。
    泣いて桜が散ることを止められるならば、鶯よりもたくさん泣いて止められるぞ、
    という歌なのかと思いました。

    • 山川 信一 より:

      作者には、泣いたところで散ることは止められないとわかっています。だから、泣きませんと言うのです。
      桜と鶯を題材にするだけでも、これだけ歌が作れることを示していますね。

  2. すいわ より:

    「悲しくないわけがない、泣いてみせれば留まってくれるの?そんなことなら幾らでも泣いて見せましょう。悲しみを見せない私の気持ちがあなたにわかる?」というのですね。なるほど、女性らしい。ストレートに気持ちを伝えない。いいような、悪いような。これは歌だからこれでいいけれど、でも、本当にわかってもらいたいのなら、伝える努力はしないと。相手に任せるのはずるい感じもします。

    • 山川 信一 より:

      この歌は、なぜこんな歌を作ったのか、誰に向かって言っているのかを考えると面白いですね。それを詠むだけの理由が必ずあります。そして、歌の意味内容はその観点からも検討されなければなりません。この歌だと、男女関係が見え隠れしていますね。

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