《恨み切れない憎い季節》

寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた  藤原おきかせ

さくはなはちくさなからにあたなれとたれかははるをうらみはてたる (101)

咲く花は千草ながらに徒なれど誰かは春を恨み果てたる

あた:移ろいやすく頼りにならない。はかなく、こころもとない。

「咲く桜の花は沢山の種類があるのに、その全部が散りやすく頼りにならないけれど、だからと言って誰が花の咲く春を薄情な季節だと恨み抜いているか、そんなことはない。」

上の句と下の句とは、「(なれ)ど」と逆接の関係にある。「かは」は、係助詞で反語を表す。文末が存続の助動詞「たり」の連体形になっている。「は」の音が繰り返し五回使われていて、調べを印象的にしている。
「千草ながらに徒なれど」は凝縮された巧みな表現である。当時は沢山の種類の桜が咲いていたことと、それでも直ぐに散ってしまうはかなさは今と変わらないことがわかる。
反語を用いることで強い思いを表している。桜は直ぐに散ると誰もが恨み言を言うけれど、決して本音ではあるまいと言う。つまり、恨み言を言っても恨み抜けないことこそが春に対する我々の思いの正体であると主張するのである。ここに作者の発見がある。

コメント

  1. すいわ より:

    心待ちにした時間が長い程、花の散る事が惜しくてならない。こんなにもそれぞれの個性がありながら、散る時はあまりにも一斉に去っていってしまう。それで心が離れるかと言えば、また長い心待ちの時間を経てより一層の思いを募らせる。思いがあればこそ、心が動く。口先で恨み言をこぼしたもの負けで、もう虜になってしまっているのだから逃れられませんね。春の罪深いこと。

    • 山川 信一 より:

      春への思いはまさに、恋そのものですね。人は春に恋をしているのです。
      この歌は、歌合の歌ですから、挑戦的です。その発見をもって勝負しているのでしょう。

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