第八十八段   信じれば名品

 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言撰ばれたる物を、道風書かん事、時代やたがひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にありがたき物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。

小野道風:平安時代中期の書家。和風書体の創始者とされる。966年没。
和漢朗詠集:平安中期の詩歌集。藤原公任撰。
四条大納言:藤原公任。966年生まれ。

「ある者が小野道風が書いた和漢朗詠集といって持っていたのを、ある人が、『お言い継ぎは、根拠の無いことではないでしょうけれど、四条大納言が選ばれた物を、道風が書くであろうことは、時代が食い違っていませんか。その点がはっきりしないのですが・・・。』と言ったので、『そうですからこそ、世にも珍しい物でございまして・・・。』と言って、ますます大切にしまって持っていた。」

当時、道風の書は、書道の手本として尊重されていた。また、和漢朗詠集は、書道の手本になっていて名筆が伝えれていた。したがって、この組み合わせとなれば、名品中の名品であろう。しかし、それは時代から言って、有り得ないのである。そこで、ある人がそれを自慢する人に、その矛盾をやんわりと指摘する。「浮ける事には侍らじなれども」と言い、「時代やたがひ侍らん。覚束なくこそ」と言って、プライドを傷付けて恥をかかせないように気を遣っている。ところが、当人はむしろその有り得ない点こそが珍しいのだと言う。指摘されたことで、その希少性にますます自信を持ってしまった。
現代でも骨董品を集める人がいる。人は貴重な物珍しい物を集めたがる。そのためか、贋作も多い。騙す人騙される人がいる。ところが、中には、贋作と指摘されても、その価値を信じ続ける者もいる。愚かしくもあれば、それはそれで幸せなのかも知れない。この話と似たようなことは常に起こり得る。人は真実よりも信じたいことを信じたがる傾向があるからだ。兼好はこうした傾向を皮肉を込めて指摘している。ただし、この話は、それをユーモアを込めて伝えるための作り話だろう。

コメント

  1. すいわ より:

    人の本質というのは変わらないものなのですね。折角、気を使ってやんわりと間違いを教えたところで信じたい事がその人の「真実」。鼻高々な顔が目に浮かびます。兼好が「或者」と「ある人」に使い分けているところが面白いです。

    • 山川 信一 より:

      まさに「あるある」ですね。理屈より思い込みの方が強い。私たちの幸福もそうやってできているのかも知れません。

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