《恨み言》

題しらす  よみ人しらす

まつひともこぬものゆゑにうくひすのなきつるはなををりてけるかな (100)

待つ人も来ぬものゆゑに鶯の泣きつる花を折りてけるかな

「待つ人が来もしないのに、鶯が泣いていた花を折ってしまったことだなあ。」

「待つ人も」の「も」は、他の人を暗示するのではなく、「来もしないのに」と「来」を限定する。「ものゆゑに」は、逆接の接続助詞で「のに」の意を表す。「なきつる」の「なき」は、もちろん鳥なので「鳴き」であるけれど、ここでは、「泣き」の意も表す。「つる」は、意志的完了の助動詞「つ」の連体形で、鶯の意志を表している。「折りて」の「て」は、意志的完了の助動詞「つ」の連用形で作者の意志を表す。「けり」はその事実の意味に気づき、詠嘆する意を表す。「かな」は、詠嘆の終助詞。
歌は、季節を追って並べられている。ここでは、梅の花ではなく、桜の花と鶯が取り合わされている。当然、梅が散っても鶯はいる。今度は、桜の花の蜜を吸いに来る。しかし、その枝を折ろうとする人がいる。待つ人をもてなすためである。鶯が折るなと惜しんで泣いても、折ってしまった。鶯には鶯の事情があり、人には人の事情がある。
この歌は、恋人を待つ女の歌だろうか。それとも、親しい友人を待つ男の歌だろうか。そこは敢えて限定していない。いかようにも読めるようにしてある。(「題しらず」「詠み人知らず」)いずれにしても、その人をもてなすために、鶯の宿を奪ってまで折ったのに、肝心の人は来てくれない。自分の行為の空しさに改めて気づき嘆いている。鶯を泣かせてまでしたことなのにと。この歌は、来なかった人に向けて詠んだのだろう。多少の恨み言として、せめて自分の今の思いをわかって貰おうとして。「つる」と「て」の意志的完了の助動詞が利いている。

コメント

  1. らん より:

    切ない歌ですね。私は恋人を待つ人だと思いました。
    イライラした気持ちで鶯の宿を壊してしまい、悪かったなあと思った人かなあと。
    あえて来ないのか、でも、事情があって来れなかったのかもと、いろいろ想像してました。想いはすれ違い、かわいそうでしたね。

    • 山川 信一 より:

      私もそう思います。恋人を待っていたのでしょう。「イライラした気持ちで鶯の宿を壊してしま」ったわけでは有りません。もてなすために、鶯の宿であった桜の枝を切りました。切るなとあんなに泣いていたのに。
      それなのに、恋人は来てくれません。鶯にひどいことをしてしまったという後悔があります。今は、自分も鶯と一緒に泣いています。

  2. すいわ より:

    「桜に鶯」に違和感を覚えました。待っても来ないと分かっているのに、それでも枝を折って花を飾る。ウグイスが鳴こうと(泣こうと)その人のために。待ち侘びて泣きたいのは私の方なのに、遅れて来てそんな風に鳴いて、と鶯(待ち人)をなじるような気持ちで枝を折ったのか?それでも枝を折ったことを後悔しているようで、複雑な心境が溢れているように思います。

    • 山川 信一 より:

      我々は、梅に鶯というイメージを持っていますが、『古今和歌集』には「桜に鶯」も出て来ます。梅の時は「梅花」と表現します。桜の時は「花」とだけ言います。「花」とあれば桜という約束なのです。
      鶯を遅れてきたとなじる気持ちはないでしょう。切らないでと泣いているのに、おもてなしを優先して切ってしまったことを、こんなことならと後悔しているのです。
      そして、それを相手に伝えることで、恨み言を言っているのです。私はあなたのせいで鶯にこんなにひどいことをしてしまったのですよと言って。

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