第七十九段   専門家は控えめに

 何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ、されば、世にははづかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。

入り立つ:専門の道を究める。その道に通じている。
さしいらへ:返事。受け答え。

「何事もその道に通じていない素振りをしているのがいい。物事を弁えている人は、知っている事だからと言って、そうやたらに物知り顔に言いはしない。辺鄙な田舎から出て来た人こそ、あらゆる道に通じている風の受け答えはするのだが・・・、だから、こちらがまことに恥ずかしい方面もあるけれど、田舎人自身も大したものだ思っている顔つきは、醜いものだ。よく道理を理解している道には、確かに軽々しく話さず、人が聞かない限りは何も言わないのが素晴らしいのだが・・・。」

教養の高い人と田舎人との違いはどこにあるのか。なぜ訳知り顔で語ってはいけないのか。これは、受けを狙うからである。それによって、自分がいかに優れているかを誇示したいからである。では、なぜそうするのか。優越感を持ちたいからである。しかし、優越感は、他者を基準にする相対的な価値でしかない。その事に一体どれほどの意味があるのか。優越感に振り回されないのが真に教養の高い人である。
しかし、実際はここで言う片田舎の人のような人物が幅を利かせている。その道に通じている人は謙虚で滅多に口を開かない。すると、世の中は、片田舎の人のような人物によち動かされることになる。コロナの時も、最初はそういう輩がわからないことをいいことに言いたい放題だった。なるほど、その道に通じている人がそれをひけらかさないのは謙虚で奥ゆかしい。けれども、世の中のためにはどうなのだろう。優越感を満たすためでないなら、問われる前に自ら積極的に発言するべきである。

コメント

  1. すいわ より:

    偉い人と偉そうな人は似て非なるもの。本物であれば、わざわざひけらかす必要はありません。必要な時に必要な仕事をする、それがプロというものでしょう。とかく誇大広告に人は振り回されがちですが、言葉に見合った内容があるかどうか吟味する事を忘れてはなりませんね。
    責任を負う事を忌避して手を挙げないのなら、看板を上げない。仕事に自信がないから手を挙げられないのでしょうから。メッキは簡単に剥がれます。
    田舎にも立派な人はいるはずですが、雅に心酔している兼好らしく、そこはメガネが曇る、のでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      田舎の人に対する評価は、貴族の偏見ですね。さすがの兼好もそこまで内省することはできません。
      「必要な時に必要な仕事をする、それがプロ」という考え方は、現代社会に欠けています。だから、エッセンシャルワーカーの評価が不当に低いのです。誇大広告を生業としている人の給料ばかりが高い。
      本物のプロの評価が高い社会にしたいものです。

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