第七十三段   平凡なまとめ

 とにもかくにも、そらごと多き世なり。ただ、常にある、めづらしからぬ事のままに心得たらん、よろづ違ふべからず。下ざまの人の物語は、耳おどろく事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。かくはいへど、仏神の奇特、権者(ごんじゃ)の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方はまことしくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず。

権者:仏・菩薩が衆生を救うために仮の姿で現れたもの。

「何にしても、嘘の多い世の中である。ただ、普通にある珍しくないことの通りに承知しておくとしたら、万事間違いないだろう。身分の低い人が語る話は、びっくりする事ばかりある。身分が高く教養の有る人は、不思議な話をしない。こうは言うけれど、仏神の超人的な力、聖僧の伝記は、そう一概に信じてはならないというものでもない。以上のことは、世俗の嘘を心から深く信じるのも愚かに見えるし、「まさかそんなことはあるまい。」などと言うのも甲斐が無いので、大体は本当のこととして応対して、一途に信じず、また疑うべきでもない。」

この段のまとめである。これまでの切り口に比べると、まとめは常識的で平凡ある。むしろ、こんなまとめなら言わない方がいい。これまでの内容が色あせてしまう。
もっとも、何事もほどほどに応対せよというのは保守的・常識的で、兼好らしいと言えば兼好らしい。また、神仏や権者について、むやみに疑うな言うところには、権威主義的な考え方が表れている。第六十八段(大根の兵士)・第六十九段(豆の声)を踏まえたものであろう。

コメント

  1. すいわ より:

    嘘にまつわるあれこれのキレが良かっただけに、この結びはなんとも残念な感じがします。身分の高低でキッパリと区別、権威に対する絶大な信頼は揺らがない。「偏に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず」、なんとも煮え切らないところが兼好ですね。

    • 山川 信一 より:

      このまとめの目的は、仏神の奇特、権者の伝記を疑ったり、信じたりしないようにすることなのでしょう。
      前に自分が述べたことが嘘くさくならないように。その結果、煮え切らないまとめになってしまったのです。

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