第七十三段 噂はまず嘘と心得よ

 世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は更に信もおこさず。音に聞くと見る時とは、何事もかはるものなり。

「世の中に語り伝えることは、本当のことはつまらないのだろうか、多くは皆嘘の話である。実際にある以上に大げさに人はものをこしらえて言う上、まして、年月が過ぎ、場所も隔たってしまうと、言いたいままに好き勝手に語って、文章にも書きとどめてしまうので、そのまま事実として定まってしまう。諸道の名人の素晴らしいことなど、教養の無く頑固な人で、その道を知らない人は、むやみに神のように言うけれども、道を知っている人は一向に信じる気も起こさない。噂に聞くのと実際に見る時とは、何事も変わるものである。」

本当のことは面白くないので、少し話を盛る。それが年月が過ぎ、場所も隔て、文章に書きとどめられて、事実として定まってしまう。もっともな指摘である。このまま現代にも当てはまる。いや、SNSで事実が誇張されて拡散するなど、この当時以上にその傾向を強めている。文明がいかに発達しようと、人間のあり方は変わらないのだと改めて思い知らされる。最近の褒め言葉に「神」というのがある。少しでも優れていると、直ぐに「神」と言うのである。それを口にする者は、兼好の「かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども」という指摘を知っているのだろうか。完璧に見透かされている。

コメント

  1. すいわ より:

    人の本質は変わらないのですね。今正に語られているかのようです。日本に限った事でもないですし。膨大な情報が瞬時に世界を駆け巡る現代、その情報は精査されることもなく放出され、出所も不確かなまま一人歩きを始める。昔以上に慎重に情報を受け取って、自分の頭で吟味しなくてはなりませんね。あと、「神」の一言で括るのでなく、どんな風に凄いのか、もっと具体的に聞かせて欲しいです。具体的に聞いちゃうとバレちゃうのですね、きっと。

    • 山川 信一 より:

      人は無反省に同じ過ちを繰り返しています。どうして、科学文明のように経験を積み重ねていかないのでしょうか。不思議です。
      すべてをゼロから始めたいのでしょうか?愚かなことをせずにいられないのでしょうか。人生をそうしたものとして捉えているようです。
      「神」を使うのは、洒落のつもりなんでしょうね。でも、洒落が洒落でなくなることも多々あります。

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