第六十一段   民間から入った宮中の習俗

 御産のとき甑落す事は、さだまれる事にはあらず、御胞衣とどこほる時のまじなひなり。とどこほらせ給はねば、この事なし。下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑を召すなり。古き宝蔵の絵に、賤しき人の子うみたる所に、甑落したるを描きたり。

甑落す:お産をする時、甑(こしき=米を蒸す器具)を御殿の棟から落とす。
御胞衣:(おほんえな)胎児を包んでいる膜や胎盤などの総称。

「お産をなさる時、甑を棟から落とすことは、定まっていることではない。御胞衣が後に残って下りない時のまじないである。滞りなさらなければ、落とすことはしない。下層階級から始まって、大した根拠とすべき説が無い。大原の里の甑をお取り寄せになるのである。古い宝蔵の絵に、身分の低い者が子を産んでいる所に甑を落としている様子を描いてある。」

一般に文化は高い方から低い方へと伝わっていく。ところが、例外もあって、甑落としの例はその逆である。民間から宮中に入った習俗なのである。兼好は、それを考証してみせた。これは、それ故敢えて従う必要が無いと言うためである。なぜなら、宮中の習俗は、由緒正しいものであるべきだと考えているからである。兼好の権威主義が表れている。しかし、お産が無事済んでほしいと思う心に貴賎は関係ない。だからこそ、宮中も倣ったのだろう。つまらぬ考証である。

コメント

  1. すいわ より:

    随分とまた思いもかけない方向から一般庶民の風俗否定をして来ましたね。そもそも庶民相手に話す気も無いのでしょうけれど、お産の何たるかなどそもそも兼好には分からないでしょうに。いつの時代からか分かりませんが「帯祝い」なんて犬にあやかってますからね。これも庶民発の慣習なのでしょうか。そんなに嫌なのなら無視すれば良い事、無視できないのは庶民の暮らしの中にあるものも気になるからなのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      兼好は、有職故実についての造詣の深さを誇示したいのです。お産に対する思いなど二の次三の次なのです。
      そして、宮中の権威を何よりも重んじているのです。これは一貫していますね。

タイトルとURLをコピーしました