《山桜の見え方》

歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる  つらゆき

さくらはなさきにけらしなあしひきのやまのかひよりみゆるしらくも (59)

桜花咲きにけらしなあしひきの山の峡より見ゆる白雲

けらし:「・・・たらしい。」物事が過去に実現したことを確信を持って推定する。
あしひきの:「山」に掛かる枕詞。
かひ:山と山の狭まったところ。谷。

「歌を献上せよと命ぜられた時にお詠み申し上げた  貫之
 桜の花が咲いたらしいなあ。山の峡から見えるあの白雲によると。」

作者は山の峡にいる。そこから山の上方に白雲が見える。しかし、よく見ると、どうもそうではないらしい。白雲なら動いて形が変わるはずだ。ところが、いつまで経っても少しも動かず形も変わらない。そこで、これはその辺りに桜が咲いたのだと推定する。
貫之に歌を命じたのは、高貴なお方である。したがって、容易には遠出も叶わないのだろう。そこで、貫之は、山の中での桜の見え方を詠んで差し上げたのである。それは白雲のように見えるのだと。白雲に見紛う桜が目に浮かんでくる。

コメント

  1. らん より:

    先生、私にも白雲に例えた山桜が見えました。高貴なお方にも見えたことでしょう。素敵な歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』の歌は、詞書きと一体です。独立して解釈することはできません。
      貫之がなぜこの歌を奉ったのかを考えるとこうなります。

  2. すいわ より:

    霞でなく白雲な所が良いですね。山桜、見たことがある者なら「花霞」で良いのでしょうけれど、その様を見たことのない人に伝えるのなら、ぼんやりとした霞より量感のある雲の方が満開の、こんもり咲き誇る桜をイメージしやすい。形の無い「言葉」には限界がありますが、その選び方で「見せて差し上げたい」という思いやる心まで見えるようです。

    • 山川 信一 より:

      実際に山の中で遠くに見える桜は、霞ではなく白雲に見えるのでしょう。霞は全景をぼうっと覆いますが、山桜の場合はそこだけが白く浮き上がって見えるからです。
      だから、最初は白雲だと判断したのです。しかし、それにしては変だぞ、動かないじゃないか、そうかあれば桜だったんだと考えが変化していきます。
      この歌は、桜の様とそれを見ている思いとを見事に再現して見せました。さすがに貫之です。

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